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ふりかけそーすけ別館 ver.guardian vein

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7ヶ月ぶりに投稿再開しました

海上自衛隊掃海部隊・平成23年度機雷戦訓練(index)・東日本大震災災害派遣(test)

ついに大晦日ですね。2011年も本日限り。引き続き、ひたすら画像を作成しています。新米見学者的には到底、2011年は総括出来ませんし、「12月31日までにまとめなくてはいけない」と云う事柄ではありませんので(冬休みの宿題ではない)。今夜は海上自衛隊掃海部隊の皆様の日向灘にての「平成23年度機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練」の『index ver.1231』、2012年3月11日へ向けて作成(勉強)途上の画像にて投稿します。既に各ブログに投稿した画像が殆どですが、「現段階までを総括」します。
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「平成23年度機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練」の「index ver.1231」。indexシリーズは、これで完了ではありません。まだまだ作成出来ます。訓練に参加された全ての皆様にて構成。昨年は、掃海部隊の皆様の一斉出港時の恐ろしいまでの精密さを画像化しましたが、今年は一斉出港時が雨天となり、良い状態で記録出来ていない事もあり、16日間の記録より選びました。予定では、陸奥湾での「平成23年度機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練」のindex画像を作成しようと思っていたのですが、本日は時間切れです。作成したい画像は山ほどあります。年が明けても、引き続き作成を続けます。では、これまでに作成した「index version」を再び。「ver.1231」をはじめ、全ての画像が700pixを超える「大判」です。
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「ver.01 rise of NATIONS rising sun 日に向かい」
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「ver.02 BLAU 月夜洋上の星団」
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「ver.03 DRAGON 金龍」



2011年の記録は、1月13日の水中処分員さんがたの吾妻島前での「潜水訓練初め」より始まりました(実際には元日の横須賀から始まっていますが)。1月末の吾妻島前では、多くの水中処分員さんがたが各護衛艦・補給艦さん・海洋観測艦さんがたの皆様と潜水訓練をご一緒されていました。その回数も多いように思え、「?」と思っていました。今にして思えば、後の東日本大震災災害派遣の「訓練」であったかのようです。そして、3月。個人的に特別な思いで迎えた3月でありましたが、それは全て吹き飛びました。3月6日に、晴れ晴れしく、シンガポールでの合同訓練に向かわれる「はちじょう」さんをお見送りした直後の東日本大震災発災。被災地に行く事が出来ぬ(行動自己完結が出来ない人間は行ってはなりません)自分、そのたかが新米見学者にさえ、重くのしかかった東日本大震災。日常も価値観も一変しました。「東日本大震災災害派遣」の画像は、簡単に楽しく作れると云う課題ではありませんので、1点にかなりの時間を要します。
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「平成23年度機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練」期間中、第42掃海隊・掃海艇「つきしま」さんを見学させて戴く機会に恵まれました。その際に戴いた『掃海部隊の概要』より、「東日本大震災被災地への掃海部隊の集結」を再現させて戴いた画像です。「航路」に誤りがあるかもしれませんが、日本全国各地より、掃海部隊の皆様・水中処分隊の皆様が被災地へ向かわれた事は間違えありません。こうして、図にする事で、私たち民間人にも、日本列島の広さ、被災地の広大さを「よく判る」ようにしたかったのです。
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「東日本大震災災害派遣 初期配備」。出来る限り正確に各地を再現しました。画像の作成は、IllustratorとPhotoshopで行っています。作成範囲が日本全国から被災地に近付くに従い、地図のトレースにも時間がかかり始めます。大変美しい景観を織りなす東北地方のリアス式海岸の複雑さを目の当たりにする事となります。この美しいリアス式海岸が大津波の被害を想像を遥かに絶する規模に増幅させ、多くの方々の尊い命と、かけがえないの日常を奪い去った事が悲しくてなりません。福島第一原子力発電所の位置にも時間を要しました。破線は30km圏内です。東日本大震災の広大な被害域からすると小さな円ですが、位置の特定の為に地図を最大表示にしました。その地図に記されている、地名や建物。小学校や病院、町のお店まで。小さな破線の円を簡単に描く事は出来ませんでした。神奈川県まで、かなりの距離がありますが、実家至近距離の堆積物から高い放射線の数値が出ています。遠くはないのです。決して。近くの体育館には被災者の方々が避難されていました。福島県には母親の知り合いもいます。遠くはない福島。この画像は、最も作成に時間がかかりました。掃海部隊の皆様の展開されていた範囲(黄エリア)を描く事もペンツールで「簡単」には出来ませんでした。作業上、簡単な作業ではありますが。実際に自分が掃海部隊の皆様の陸奥湾にての「平成23年度機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練」見学記録の為、この範囲を遡って行ったのです。その時の思い。昨年、初めて大湊を訪れる際、新幹線の車窓から福島第一原子力発電所と全く同じ建屋も観ていました(いずれの発電所であるのか、特定出来ていませんが)。現段階で作成(再現)出来ている「地図」は、ここまで。年が明けてより、更に被災地へ近付きます。仙台湾から船越湾まで。
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昨日、『日報』へ投稿した画像です。「未完成」。かなり大きな画像ですが、これでも無理があります。「JN4部隊 掃海隊群」の部分を拡大し、作成する予定です。
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「再現」の始まりの画像です。「東日本大震災災害派遣部隊の組織・構成」。再現を思い立ったのは、自らの手と目で改めて辿る・再確認する為でした。作成には、かなりの時間を要します。再現する過程において、「頭に叩き込む」のです。暗記ではなく、叩き込むのです。実際に被災地での活動を続けられた皆様の事を思えば、頭の中に完璧に記憶されていて当然なのです。その方々の見学記録をさせて戴いているのですから。でも、全然足りない。まだ足りない。知識としてだけ判っている事が重要なのではなく、如何に近づけるか、なのです。自分は被災地へは行かれませんでした。だから、よく判らない、のではなく。

油津では、お会い出来た掃海部隊の方々から、僅かな時間ではありましたが、災害派遣の際のお話を伺いました。皆様、今も「もっと…出来たのではないか…」と幾度も仰るのです。仰る方々に自分が云えた事は、「いえ。皆様は出来る限りの事をなさったのです。後に、もっと出来た…と思うのが人の常です」。生意気かもしれませんが、本心です。皆様は、出来る限りの事をなさった。出来る限り以上の事であったと思っています。こちらのブログの検索キーワードにも、「自衛隊さん ありがとう」「海上自衛隊 災害派遣(詳しい地名が幾つも)」が入っていた時もあります。おそらく被災者の方々が探しておられたのでは…と思えるキーワードが数々入っていました。『YOKOSUKA軍港めぐり』にも、「海上自衛隊に世話になったから、観に来た」と仰られた被災者のお方とお会いしました。

激動激震の2011年が終わろうとしていますが、来る年が明るく穏やかな1年であるよう切に願いながら、2011年を決して忘れる事なく、自分なりに再確認してゆきたいと思っています。本年中、大変多くの方々にご親切にして戴きました。心より厚く御礼申し上げます。来る年が皆様にとって、良き1年となるよう、心よりお祈り申し上げております。
by guardianvein | 2011-12-31 03:44 | ┣掃海部隊