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7ヶ月ぶりに投稿再開しました

カテゴリ:東日本大震災 災害派遣( 19 )

約1週間、『日報』へ投稿を集中致しました。こちらが休刊となっておりましたが、各ブログ異なる時間軸にての進行としました。今投稿は、2012年3月11日、自分なりの「東日本大震災発災より1年」の横須賀の記録にて。歩く。それが2012年3月11日。「2011.3.11より今に至り再生へ」。
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2012年3月11日。14時少し過ぎた頃、長浦港最奥部に到着しました。風も殆どなく、穏やかに晴れた静かな午后でした。背後の田浦中学校では、何か…練習が行われていたようです。野球でしょうか。時折、元気な声が聴こえてきましたが、静かな長浦港。最も近いところにいらしたのは、第41掃海隊・掃海艇「のとじま」さん。自衛艦旗・国旗共に半旗です。勿論、見える全ての艦艇さんがたが追悼半旗です。日曜日でしたが、長浦港には運貨船YL09号さんがいらしたり、作業艇さんが行き来され、「のとじま」さん前方の「すがしま」さんでは、作業をなさっていました。
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この日、長浦港には全ての海洋観測艦さんがたが揃われていました。「すがしま」さん前方から、海洋観測艦「すま」さん、試験艦「くりはま」さん、輸送艇2号さん、潜水艦救難母艦「ちよだ」さん、海洋観測艦「にちなん」さん、「わかさ」さん、「しょうなん」さん。その前方は…おそらく、護衛艦「はたかぜ」さん(「しまかぜ」さんかもしれませんが。2010年7月の大湊の深夜に「しまかぜ」さんと「はたかぜ」さんと思ったように)。田浦側には、第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さん、「つしま」さん。ほぼ全ての艦艇さんがたが東日本大震災に向かわれました。空は時折、雲に覆われる時間帯もありましたが、概ね美しい青空と白い雲。このような美しく穏やかな日々が続く事を心から願いました。
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この辺りで、釣り人の皆様と再会しました。2011年3月当時、この辺りを彷徨い歩いていた際、声をかけて下さった皆様。2011年3月11日東日本大震災発災直後、どうしても辿り着けなかった長浦港。その時の状況を改めてお訊きしました。長浦港最奥部、花(菜の花?)のタイルのある付近、潮位が上がった際、海面が溢れたそうです。「あそこは、潮が上がっちゃったよ。深浦や文庫の干潟は船がひっくり返った」。この時、海面が溢れた先(少し見えづらいですがライテックさん側の塀横)、横須賀北消防署の隊員さんが仁王立ちになっておられました。艦艇さんがたより「黙祷(準備)」の声が聴こえ始め…そして、14時46分がやって参りました。その1分間の記録は存在しません。自分も黙祷致しました。あまりに大きな犠牲を強いた東北地方太平洋沖地震。心よりの追悼、力強い復興を切に願う祈り。長浦港にいらした海上自衛隊さん、東芝ライテックさん、長浦港周囲にいらした皆様が黙祷を捧げられました。
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厳粛な黙祷が捧げられた長浦港周囲。再び、日常が動き始めます。しばし、日々の長浦港を良く知る釣り人の皆様とお話しさせて戴き、独り歩き始めました。横須賀港務隊の大型曳船YT68号さん、67号さん。ここに立つと、あの3月25日を思い出します。福島第一原子力発電所真水給水支援のご準備をなさっていた3月25日を。福島第1原子力発電所岸壁までゆかれたYT68号さんから撮影されたYT79号さんの映像を。
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被災地各地の湾に向かわれた「すがしま型掃海艇」さんの「68...」と、福島第一原子力発電所へ向かわれた大型曳船さんの「68」。
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この日の長浦港には、艦艇さんがたが多く戻られていました。左手より海洋観測艦「すま」さん、試験艦「くりはま」さん、輸送艇2号さん、潜水艦救難母艦「ちよだ」さん。「ちよだ」さんは、今年になって初めてお目にかかりました(自分が横須賀を訪れたのは、1月25日のみと云う事もありますが)。掃海部隊の皆様と共に「東日本大震災災害派遣JN4部隊」であった「ちよだ」さん。
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「30埠頭」には、第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さん、「つしま」さん。そして、右手には油船さん、水船さんがた。本当に静かで穏やかであった長浦港。「やえやま」さん上甲板では、作業をなさっていた方々が見えていました。掃海艦さんがたが見える、この先端に立つと、「はちじょう」さんをお見送りした3月6月、発災直後に出港され、3月28日にようやく戻られた「やえやま」さん、「はちじょう」さんを思い出します。本日は「やえやま」さん、「つしま」さん。「つしま」さんはペルシャ湾にての「米英共催多国間掃海訓練」から戻られた際を記録出来ていなかった事を…。ふと足下に目をおとすと海底が透けて見えました。津波の前兆の急速な引き潮の際は、海底が見えていた事でしょう。この後、こちらでも釣り人の皆様と再会。しばし、お話しさせて戴きました。ベース内でお仕事なさっているお方もいらっしゃいました。各地点で話し込んでいた為、気付くと16時半になっていました。掃海部隊の皆様の各地での訓練の際も、地元の釣り人の方々・漁師さんがたとお話しする機会が多くあります。とても勉強になります。
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バス停へ向かう際にも、釣り人のお方と再会。実際には、この地点でお仕事なさっているお方でもあるのですが、お話ししている最中、東京湾に、もくもくと積乱雲が湧き上がり始めた事に気付きました。2011年3月11日も15時過ぎあたりから、寒冷前線が接近し、天候は急変しました。本日は朝方、神奈川県に雷注意報が発表されていた事もあり、「では、またお会いしましょう」と再会したお方(この日、一度に「皆様」に再会する事となります)とお別れし、バス停へ向かいました。
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丁度、横須賀北消防署さん横にさしかかった時、大きな消防車さんが戻られるところでした。信号待ちをしていらっしゃる際、ふと気付いた表示。「この付近の標高は約3.7mです」。3.7m…。ここは、長浦港最奥部の花のタイルの辺りとほぼ変わらないと思うのです。と云う事は…当時、海面は3mを超えた?3mの津波と云う事ではなく、標高3mを超えたと云う事…。横須賀本港を思い出します。最も引いた状態から一気に上がった時、その変動差は2〜3mはあったと自分になりに思っていました。横浜港の数値は1.6mとなっているようですが、自分には、遥かにそれを超えていたように見えていましたので。バスを待つ間、さまざま素人なりに「検証」していました。
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船越から吉倉へ移動。ここは、やや見通しが宜しくはないのですが、気になっていた地点です。建物の間から見える横須賀本港。「港務隊さん基地」方面。多くの支援船さんがたが集結されています。と…厚生センター前の艦艇さんに「?」。一目で判ったのですが、何故こちらに…。掃海艦「はちじょう」さんです。横須賀本港側にいらしたのですね。掃海艦さんが横須賀本港側にいらした際を初めて目にしました。2008年以前は、現在、水中処分母船YDT03号さんがいらっしゃる警備隊埠頭に第51掃海隊さんがいらしたようですが(写真でのみ見ていました)。次のバスが来るまで、しばし、よろけながら横須賀本港を見ていました。
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夕刻迫る頃、ヴェルニー公園に到着。予定の時刻より3分遅れ。17時20分。何故、この暗くなりかけた時間帯であったか。それは、2011年3月11日、最初に急速に海面が急上昇した際を確認した時刻です。1年後の同時刻。逸見岸壁には、護衛艦「ひゅうが」さん。その後方に掃海艦「はちじょう」さん。吉倉桟橋最も手前には試験艦「あすか」さん。お隣は護衛艦「きりしま」さん。更に多くの護衛艦さんがたがいらしたのですが、この位置からは全ての艦艇さんがたは確認出来ません。この時、ふとヴェルニー記念館の方を見た時でした。「あ…」。こちらでも再会でありました。いつもお約束をせずとも、重要な日にお会いする御仁…「機長」氏でありました。どうしてもお話ししたいお方でした。そこで、驚くべき事柄を幾つも教えて戴く事になります。そして、「機長」氏と共に、海面を確認。「この石垣の上から2番目のところまで上がりました」「…かなり上がったね。2mないね…1.6m…」。スケールを持って来るべきでした。しばし、「機長」氏にさまざま教えて戴きました。常に大切な事を教えて下さる「機長」氏。お会い出来て本当に良かったです…。いつも教えて戴き心より御礼申し上げます。
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そして、自衛艦旗降下の時刻となりました。本日の日の入り時刻は17時46分。この時、ヴェルニー公園には、いつものように大勢の方々がいらしたのですが、「静寂」でありました。海も風も穏やかな横須賀本港内に静かにらっぱの音(ね)が響き渡ります。半旗の国旗・自衛艦旗降下となりました。「はちじょう」さん自衛艦旗降下であります。「ひゅうが」さんの傍らにいらした方々、「はちじょう」さんに向かい敬礼であります。

横須賀本港上空は、もくもくとした雲に覆われ、夜が早く訪れようとしていました。「機長」氏は、「心配ないよ。大丈夫」と念を押され、帰ってゆかれました。心の支えであります。「機長」氏の後ろ姿をお見送りし、再びバスにて移動です。
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予定より約15分ほど遅れての到着は、追浜日産埠頭横。ここでも昨年10月以来の再会となりました。約1ヶ月間通った日産追浜埠頭地点。当時、激励(時に叱咤激励)して下さった釣り人の方々。アイクル・釣りスペースでも14時46分、皆様、黙祷を捧げられたそうです。2011年3月11日、どうしても辿り着けなかった、この地点。東京湾が見渡せる、この地点(辿り着けたとしても危険でした)。1年後に辿り着いたとしても、その日の何が判る訳ではないのですが。時刻は18時26分。予定していた時刻は18時10分。2度目に急速に海面が上昇した時刻。本日は対岸の千葉県の灯が良く見えていました。千葉県旭市を最大の津波が襲ったのは、17時26分であるそうですので、18時10分の横須賀本港の海面急上昇時が、その最大の津波の伝播であったのかもしれません。その時の東京湾は…。今となっては、最早取り戻せません。ですが、同時刻を確認したかったのです。自分如きに何が判り、何も出来なかったであろうに。「お前のやっとる事は、ただの自己満足じゃないのか?」と問われたとしても、否定も肯定も出来ません。判らないのですから。何事もやってみなくては判らない。例え、今現在が自己満足と云われようと、後にそうでない事が判るかもしれません。何事もやらねば判りません。捜し続けているのです。何かを。2011年3月11日以降。
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煌煌と夜の吾妻島前。美しい夜景です。日常の夜景。かけがえのない日常の灯。この時、再会出来た釣り人のお方と一緒にいらしたのは、日産自動車追浜工場にお勤めの「単身赴任の若きお父さん」。当日の日産自動車さんの状況をお訊きしました。「こんな太い電線が天井から、ぼこぼこ落ちてた。製造ラインの車も。勿論、全て停止。そこで解散。と云っても、帰るに帰れない。信号は消えてる。車は動かない。家まで4時間かかった」。もう少しお話しを伺いたかったのですが、この頃、会計士叔父から急ぎ戻るよう連絡が入っておりましたので、戻らねばなりませんでした。追浜駅まで送って下さった「若きお父さん」、寔に有り難うございました。

こうして、やむなく戻る事となり、全ての地点を辿る事は出来ませんでしたが、自分なりの2012年3月11日でありました。本日これより、会計士叔父の確定申告手伝い最後の追い込みに入ります。平成23年度確定申告の締切は3月15日。それまでは、ほぼ徹夜の手伝いが続き投稿が止まる事と思いますが…あと数日です。叔父も年をとりました。肺がんの再発も心配されます。出来る限り負担を軽くしたい。今、その時、自分に出来る事を。
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「何を撮っているニャア。こっちを見るニャア。写真撮って何になるニャア」。吉倉地点で、よろめいていたのは、ずっと、この白黒猫が足下に居たからです。足下に絡んでしまって、幾度も挟まり、幾度も踏みそうになりました。キミは1年前、どうしていたのかね。揺れ続ける地面をどう思ったのかね。猫にさえ問うていました。思い出されたのは、福島第一原発避難区域の動物たち。家族と離れ、彷徨う動物たち。人々と共に暮らしていた動物たち。

全てを取り戻す事が出来ぬのなら、新たに築き上げる。戻りつつある日常。一方、未だ復旧の途上にある状況。あまりに大き過ぎる東日本大震災。ですが、2012年を生きていかねばなりません。その日、その時、自分に出来る事を。
by guardianvein | 2012-03-11 23:43 | 東日本大震災 災害派遣
東日本大震災発災から100日を前に、6月16,17,18日と4,000人態勢での行方不明の方々の捜索が行われるそうです。本日のニュース映像では、海上自衛隊さん・EOD員の皆様の捜索は報じられていませんが、最重点地域の宮城県石巻市の大川小学校付近・渡波地区・旧北上地区・気仙沼市の鹿折地区にて大規模な捜索をなさるそうです。宮城県警察をはじめ全国の警察からの方々、陸上自衛隊さん・海上自衛隊さん・航空自衛隊さん・海上保安庁さんと共に。今回の3日間の捜索のみならず、6月に入ってからも捜索活動が続けられている事は、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」の写真にて報じられています。そして、被災地と直結している横須賀の港。
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6月3日、長浦港には第42掃海隊・掃海艇「つきしま」さんが戻られていました。東日本大震災発災直後より、神戸より被災地に向かわれ続けています。この日は、出港直前。オーストラリア海軍さんフリゲート艦「ダーウィン」さんより「被災地・宮城県南三陸町の子どもたちへの贈り物」を携えて。
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「ダーウィン」さんのマストには、国連の旗と大きな日本の国旗。東日本大震災発災以降、横須賀では、これまで自分が目にした事のない光景が続いています。海上自衛隊さんの見学記録を始めて、まだ3年あまりの新米見学者ですが、見学記録回数(日数)は、少なくはありません。3月11日、被災地と直結した横須賀の港各所。横須賀本港・長浦港ともに入出港が頻度が格段に異なります。掃海部隊の皆様に限っても、東日本大震災発災前には、日本全国より来られる掃海艦艇さんがたは、年に10隻もいらっしゃらなかったと思います。
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「つきしま」さんが出港されると入れ替わりに入港されたのは、掃海艇「すがしま」さん、「まえじま」さん、「つのしま」さん、掃海母艦「うらが」さん、「ぶんご」さんでした。この翌日には「まえじま」さん出港されます。この3ヶ月で、沖縄・佐世保・下関・舞鶴・呉・神戸より掃海艦艇さんがた幾度も入出港されています。つまり、被災地に近い函館の掃海艇さん以外、全ての掃海隊の皆様がいらしています。東日本大震災の災害派遣は、大湊や日向灘での大規模な「掃海特別訓練」に匹敵する規模なのです。しかも、期間は3ヶ月を過ぎています。被災地より交代で横須賀に戻られる掃海艦艇さんがた、期間は約4日です。現在、被災地で活動されている掃海艦艇さんがたの詳細が判りませんが、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」にて、被災地と捜索活動を垣間みる事が出来ます。6月10日に報じられた捜索活動の記録を転載させて戴きます。宮城県は牡鹿半島付近であるそうです。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

掃海艇「つきしま」さんのお姿がありました。捜索をなさっているEOD員さんは、「つきしま」さんにご所属の皆様と…画像を幾度も確認しました。おそらく…掃海艦「つしま」さんにご所属のEOD員さんであると思うのです。
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「つきしま」さんEOD員の皆様の記録は、僅かにあります。横須賀以外にご所属のEOD員の皆様の記録機会は殆どありません。
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掃海艦「つしま」さんご所属のEOD員の皆様。報じられた捜索活動の際に近しい記録を探しました。
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吾妻島の海岸線は、被災地を彷彿とさせます。今年1月26日。刻々と東北地方太平洋沖地震が迫っていた頃です。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」に報じられた同日、長浦港に掃海艦「つしま」さん戻られます。一昨日の段階では、長浦港にいらしたのですが、今日にでも出港されているかもしれませんし、まだいらっしゃるかもしれません。昨日の段階で、長浦港にいらしのは、掃海艇「くろしま」さんと「つしま」さんのみです。沖縄よりの第46掃海隊の掃海艇さんがたは、3隻全ていらした事になります。

本日より3日間行われる宮城県の最重点地域での大規模な捜索活動。少しでも私たちが知る事が出来ますよう。報じられなければ、知らぬまま過ぎてしまう事になります。東日本大震災発災以降、こちら『gvein(別館)』のアクセスが急増しました。急増したままの水準で推移しています。
by guardianvein | 2011-06-16 22:43 | 東日本大震災 災害派遣
【0609追記】『日報』へ0608速報投稿
【0610追記】『日報』『ver.YB』へ0609速報投稿
本日(6月3日)、約1週間ぶりに横須賀に戻りました。感覚的には「僅か1週間」であったのですが、実際には「僅か」ではありませんでした。その間、第51掃海隊の掃海艦さんがたが横須賀に戻られ、数日で「やえやま」さん、「つしま」さんが出港されてしまいました。先週の木曜日には『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船していますので、「週に1度」の乗船の間隔が開いていた訳ではありません。が…香川県へ出発する前日、掃海艦さんがたが戻られるように思えていました。「間に合うか…」と思ったのですが。これが今の横須賀。「僅か数日」なのです。約4日。
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さすがですよ。『YOKOSUKA軍港めぐり』秋澤船長。この角度は、初めてです。船越岸壁の掃海母艦「うらが」さんより、後方NP-1桟橋の掃海艦「はちじょう」さんまで。被災地より戻られた横須賀の掃海部隊の皆様。
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掃海母艦「うらが」さんに近付いた頃、愕然としました。「うらが」さんも傷だらけです。
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これは…痛々しい…。このようなお姿になられているとは…。前回、「うらが」さんのお姿を目にしたのは…4月16日であると思います。
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「うらが」さん、ぴかぴかであったのです。瑕一つなく。1ヶ月半後、傷だらけになって横須賀に戻られました。
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時を同じくして、呉には掃海母艦「ぶんご」さんも戻られていました。遠方ですし、艦首は見えませんでしたが…。
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昨年11月。日向灘にての平成22年度機雷戦訓練・掃海特別訓練前日の「ぶんご」さん、「うらが」さん。本来のお姿。4月半ばにも、このようなお姿であったのです。常に海上自衛隊さんの艦艇さんがたがきちんと整備されているのは「几帳面」とか「完璧主義」と云う様式美・美意識の追求のみではなく、常にきちんと整備されていないと、いつ何時、「非常時」が訪れ、長期に渡る活動をなさるか判らぬからの備えである事を、東日本大震災は知らしめました。もし、適当な整備をしていたとしたら、長期の活動に支障を来すでしょう。出発点の「水準」が高ければ、それだけ長く持ちこたえられます。
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常にきちんと整備されている事。それがどれほど重要か。
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「うらが」さん、艦尾門扉地点も錆が流れ、とてもお疲れのように見えました。「うらが」さんの皆様がお元気そうに見えた事に安堵致しました。
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NP-1桟橋には、掃海艦「はちじょう」さん。桟橋に掃海電線のリールが見えました。取り外されているようです。多くの機材も運び出され置かれています。リールは、個人的に掃海艦さんがたの「象徴」です。相当遠方からでも、掃海艦さんがたのお姿が確認出来るのは、掃海電線のリールの「黄色」なのです。掃海艇さんがたは、半分隠れていますので、遠方からでは見えづらいのです。ですが、掃海艇さんがたには、別の「象徴」があります。
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掃海艦艇さんがたは、後方に「凝縮」されています。掃海艦さんがたは、リールと処分具の黄色が遠方からでも、よく見えます。一目で判る事も多いです。
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リールはかなり大きいです。そのリールが取り外され、桟橋に置かれている際を初めて目にしました。また、桟橋の周囲には、数隻の「搭載艇」さんがた。「うらが」さん後方にも、「搭載艇」さんのお姿が見えました。本日の長浦港では、各所に「搭載艇」さんがた。ですが、第41掃海隊の掃海艇さんがたは1隻もいらっしゃらず、第51掃海隊の掃海艦さんがたは、「やえやま」さん、「つしま」さんがいらっしゃらない。被災地での活動を知る術は、現在、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」のみとなっています。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

5月30日、呉の滞在先から確認しました。捜索されているのは「やえやま」さんの江川さん。気仙沼付近の捜索だそうですが…未だに、このような状態が続いている事を、写真であっても改めて目の当たりにした時、何故、もっとテレビや新聞で報道されないのか強く疑問に思います。すっかりテレビでの報道が見られなくなり、新聞(購読している)でも全く報じられません。訳の判らぬ政争報道など見たくありません。そのような事に時間を費やす政治家の皆様、被災地へ是非、行って下さい。皆様のように肩書き・つてをお持ちなら、今すぐにでも被災地に行けるでしょう?私たち国民の為に、是非、被災地で尽力なさって下さい。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

こちらの記録で、どなたであるのか判るのは、掃海隊群司令部EOD班の鶴見さん、関谷さん。第42掃海隊・掃海艇「つきしま」さんのお姿があり、ご一緒に捜索されているのは、「つきしま」さんEOD員の皆様であるように見えますが、現在、捜索活動を続けられている皆様の「全て」が判っていません。私などが「全て」判る必要があるのか?と問われるかもしれませんが、2008年8月以降、ずっとEOD員の皆様の記録を撮らせて戴いています。出来る限り判りたいのです。「ALL I NEED TO KNOW」。捜索されている皆様の背後には、痛々しく焼け焦げたフェリー(に見えるのですが)。3月11日、帰宅困難者となった際、避難させて戴いたメルキュールホテル横須賀さんのロビーに設置されたテレビで、夜通し炎上し続ける気仙沼の映像を見ていました。言葉もなく。海までもが燃えていました。間もなく3ヶ月が経ちます。ですが、未だにフェリーは痛ましい姿で傾いたままです。
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奇しくも昨年5月30日。高松港にての「つきしま」さんと瀬戸内海を結ぶフェリー。島に暮らす人々の大切な船。気仙沼をはじめ、東北地方には多くの島々が点在し、フェリーは漁船と共に、東北地方の方々にとって大切な存在。欠く事のできぬ存在。奪われた日常。奪われた大切な命を探して、今も捜索を続けられている事が、何故、報道されないのでしょう。
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捜索を支える「つきしま」さんの「搭載艇」2隻。「つきしま」と書かれています。これまでの見学記録が、東日本大震災の災害派遣のご活動の記録と次々繋がってゆきます。
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今年1月12日。掃海艦「つしま」さんに「白い防備」をなさっているお方がいらっしゃいました。装備の点検であったように見えましたが、これまでの見学で「白い防備」のお方を目にした事がなく、強く印象に残っていました。その2ヶ月後、東日本大震災が発生し、多くの「白い防備」の方々のご活動を目の当たりにする事となります。この日、「実際の任務」が訪れるなど、誰が予測できたでしょう。予測出来ずとも、備えはなさっていた事が判ります。「任務」は異なれど。
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本日、船越にいらした「つきしま」さん。傷ついています。静かに休んでおられるように見えました。高松港では、ご一緒に被災地に向かわれていた「くめじま」さんの一般公開が行われました。東日本大震災の災害派遣がいつまで続けられるのかは全く判りませんが、被災地に向かわれた全ての艦艇さんがたの一般公開が行われる日が来る事を願っています。艦艇内では、災害派遣のご活動の記録を私たちが詳細に見学しなくてはなりません。

高松・呉滞在中にも、防衛省さん・海上自衛隊さん・自衛艦隊さんsiteを日々確認していました。webでの確認は出来ていましたが、投稿を構成する事が難しく、横須賀に戻る日まで待ちました。

今、投稿と同時に緊急地震速報が届きました。福島県で強い地震が起きたようです。緊急地震速報が届くのは、いつ以来でしょう。福島県浜通で震度5弱のようです。強い地震です。こちらも揺れました。震源は福島県沖。マグニチュード5.6。震源の深さは20km。最大震度は福島県いわき市で震度5弱のようです。津波の心配はないようですので、安堵しましたが、深夜の被災地に強い揺れです。

【06040111追記】東日本大震災前には、殆ど前兆らしき現象は判りませんでしたが、今夜の地震は捉えました。6月3日14時27分。ですが、いつ、どこで地震が起きるかまでは判りません。それが判れば、どれほど多くの命、日常を護れる事でしょう。
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NP-1桟橋と「はちじょう」さんを撮っていた時でした。「!」。海上保安庁さんの巡視船「たかとり」さんの上に、違和感のある雲が出ている事に気付きました。
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14時31分。市営桟橋前。線状の雲が並んでいます。個人的に、ですが「地震が起きる前に出る雲」でした。強い地震の起きる前には、このような雲が出ると信じていたのですが、東日本大震災の前には、顕著な「前兆」はありませんでした。細い神経質なすじ状の雲は出ていたのですが…。巨大地震が起きる前には、明らかな異変があると信じていましたので、根底から覆りました。東日本大震災は、あまりに激甚で、何もかもが覆ってしまいました。こんな自分の日常や願い、希望さえも。
by guardianvein | 2011-06-04 00:58 | 東日本大震災 災害派遣
引き続き、諸準備をしておりますが、現在、『日報』、当ブログ『gvein(別館)』共にアクセスが多く、特に、『gvein(別館)』が多くなっています。その為、今夜は、こちらを投稿。『日報』は、ぎりぎりに投稿出来るよう準備しています。東日本大震災発災より、毎日、防衛省さん発表を確認していますが、5月23日現在、被災地での活動をなさっている艦艇さんがたは、32隻。海災部隊は約8,400名の方々との事ですが、なかなか掃海部隊の皆様の情報が判りません。本日、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況」に新たに写真が8cut。前週には、4cut。EOD員の皆様の捜索活動が報じられました。
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東日本大震災発災約1ヶ月前の吾妻島前。快晴の横須賀でしたが、海は荒れていました。写真がまともに撮れない状態でした。揺れと強風で。この日、訓練なさっていたのは、潜水医学実験隊の皆様、第41掃海隊・掃海艇「のとじま」さんEOD員の皆様、掃海艇「つのしま」さんEOD員の皆様でした。荒れた海をひたすら泳ぎ続けられているのは、「のとじま」さんEOD員の皆様。海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」5月10〜17日の捜索状況より転載させて戴きます。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

4cutの捜索状況の中に「のとじま」さんEOD員・姉崎さんのお姿がありました。各地にご所属のEOD員の皆様のお顔ぶれが全て判っていれば…と、東日本大震災以降、痛切に感じています。何故、ご所属とお顔ぶれにこだわっているかと云うと、懸命の捜索活動を続けられている方々が、より私たち国民に身近に感じられる筈なのです。例えが「普通(日常的)」になりますが、サッカーや野球等の「ホームチーム」のように。地元に拠点を置くチームを熱く応援するように。「CHEER FOR MOVE」です。各地より被災地へ向かわれている全てのEOD員の皆様のご所属=艦艇さんがたが判る事で、より身近に感じられると思うのです。これまでの記録(写真・映像)を見ていると、ご所属を超えて「結集」されているようにも思えますが。「海上自衛隊爆発物処理班=EOD員結集」と云う印象です。この日の記録にいらっしゃる皆様が拠点にされているのは、掃海母艦「ぶんご」さんでしょうか。
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こちらは、掃海母艦「うらが」さんですが、EOD員の皆様が集まられているのは、こちらの艦尾門扉ですね。海側から見ると、このようになっています。この日は、「搭載艇」も見えていますし、掃海隊群司令部EOD班の皆様もいらっしゃいますね(かなり前の写真ですが。2009年4月)
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こちらも掃海母艦「うらが」さん。今年の2月。東日本大震災発災約1ヶ月前です。この日も「搭載艇」が見えていますね。
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掃海母艦「ぶんご」さんは、東日本大震災以降、この約2ヶ月、横須賀に「戻られた」際を目にしたのは、1度きりです。『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船していない間に戻られているかもしれませんが…。
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昨年5月の高松港での掃海母艦「ぶんご」さんとEOD員の皆様。体験航海・一般公開が行われておりましたので、海面警備をなさっている際の記録です。快晴の美しい高松港。今年は、「ぶんご」さんはいらっしゃられないようですね…。

そして、本日(5月23日)、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」に新たに8cut。「5月18〜23日捜索状況」。やや不鮮明の画像もありますが、即座に判りました。全ての方々ではありませんが、掃海隊群第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さんの皆様です。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

EOD員の方々のウェットスーツには、それぞれ「特徴」があります(とても細かい部分ですが)。特に横須賀にご所属の方々は、殆どの場合、すぐに判ります。「搭載艇」にも、それぞれ「特徴」があります。先々週に横須賀に戻られていた「やえやま」さんの皆様。再び、被災地へ向かわれたようです。明確に判るのは、「やえやま」さんEOD員の鮏川さん・西村さん・江川さん。そして、オレンジ色の胴衣のお方には「やえやま」と書かれているのが判ります。「やえやま」さんの皆様は、昨冬志布志港での一般公開もありましたし、東日本大震災5日前から前日、いえ当日まで、お目にかかっていますので、すぐに判ります。捜索されているのは、宮城県石巻市雄勝湾のようですね。海上自衛隊さんtwitterで確認しました。ここのところ、捜索活動の映像や報道がなく、既に「完了」しているように思えている国民も多いのでは…。今もなお、捜索活動が続けられ、今もなお、被災地の海岸線は、このような状況である事を私たちは知っておかねばなりません。「今もなお」です。

一介のフリーのカメラマンが、EOD員の皆様の捜索活動の記録を撮る事は叶わず、では、自分に出来る事は…と日々考え続けています。出来る事とは?「忘れないこと」。「知ろうとすること」。これまでの記録を繋ぎ合わせ、「忘れないこと」。
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「やえやま」さんと云えば、雨です。本日、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」にて報じられた捜索活動の日も雨が降っているように見えます。いつも思い出すのは、豪雨の中、日向灘にての訓練を終えられ、油津港に戻られた際の事です。むちゃくちゃな雨でした。辺りは降りしきる雨で真っ白でした。
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「搭載艇やえやま号」。皆様が横須賀の吾妻島前に戻られる日は、いつであるのでしょう。
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通年、この季節は、晴天の吾妻島前に多くのEOD員・飽和潜水員さんがたが「集結」されているのですが。横須賀にご所属のEOD員さんがた全員出て来られる日もあるのですが。
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今年は5月晴天の吾妻島前の記録は1cutもありません。3月11日以降、多くのEOD員の方々が被災地へ向かわれています。2ヶ月以上が経過しようとも、今も続けられる捜索活動。5月22日現在、行方不明の方々は、8,803人。
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本日、宮城県気仙沼港にて、大津波によって陸に打ち上げられていた大型のまぐろ延縄漁船を海へ戻す大掛かりな作業が行われていましたが、深田サルベージ建設株式会社さんの「富士」号さんが向かわれましたね。4月29日、長浦港は雲一つない快晴でした。やはり、横須賀は被災地と直結しています。「今も」。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」の5月18〜23日の捜索状況の記録を見るごとに、横須賀に置かれていた山積みのブイを思い出しました。多用途支援艦「あまくさ」さんの近くに置かれていました。横須賀本港・長浦港で、これほど多くのブイを見た事はありません。被災地の海を漂流していたブイに見えてなりません。
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こちらは昨夏。大湊駅前の漁港に山積みになっていたブイから大湊地方総監部さん方面。ですが、ここは漁港。「日常」の風景です。東日本大震災では、陸奥湾・大湊湾に津波の被害はなかったのでしょうか。付近の高い建物と云えば、駅前のフォルクローロ大湊さん、あとは…大湊中学校(少し高台にありますので、大丈夫ですね)、大湊地方総監部さん。大湊の町は、海岸線から近いところに高台・山がありますので、もし、津波が到達していたとしても、避難は困難ではないように思えます。田名部方面は、少し山まで距離があったように思いますが。
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山積みのブイの前には、美しい陸奥湾。洋上には護衛艦「ひえい」さん、そして、訓練に向かわれる掃海艇「いずしま」さん。東北地方の風景は、本当に美しく穏やかです。昨夏2度訪れた東北地方を襲った東日本大震災。福島県には母親の知り合いも多く、横浜に避難して来られているご家族もおられます。母方の先祖は東北地方に暮らしていた筈です(江戸時代までの過去帳を遡り。詳細には判りませんが)。東日本大震災災害派遣は今も続き、避難生活を続けられている方々も10万人を超えています。
by guardianvein | 2011-05-23 23:49 | 東日本大震災 災害派遣
本日5月13日、第51掃海隊の掃海艦さんがたが横須賀に揃われました。4月末日以来です。約半月ぶりです。東日本大震災の被災地より戻られた事と思いますが、その間の情報が確認出来ていません。一昨日、日本テレビさん「news every.」でのEOD員の皆様が捜索なさっている際の映像では、第51掃海隊のEOD員さんがいらしたのですが、取材された日が判りませんでした。勝手な想像ですが、4月中ではないように思います。5月3日のフジテレビさん「スーパーニュース」では、掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さんEOD員の皆様の捜索なさっている際の映像が放送されましたが、こちらは4月20日前後であったと思います。いずれにしましても、第51掃海隊の皆様が揃われるのは、4月末日以来です。
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昨年10月、共に掃海母艦「うらが」さんを見学させて戴いた『YOKOSUKA軍港めぐり』の秋澤船長から、「やえやまとつしまが間もなく戻りますよ」と伝えられたのは、13時45分頃。私個人としては、東日本大震災から2ヶ月が経過する日は、5月の「第2週金曜日」でした。日付ではなく、曜日なのです。「第2週の金曜日」。「3月第2週の金曜日」。東日本大震災=東北地方太平洋沖地震発生20分前、掃海艦「やえやま」さんの前に居ました。その時、NP-1桟橋には掃海艦「やえやま」さんのみ。全てが覆ってしまった、あの日14時46分の20分前。それから2ヶ月。吾妻島の銀柱の間より、「やえやま」さんのお姿が見えたのは、14時16分。甚大な、甚大過ぎる犠牲を強いた東日本大震災。あまりにも多くの尊い命を奪い、自分からも数々の「事柄」を奪った東日本大震災。決して、あの日を忘れません。ですが、無情に奪うばかりではなく、与えられる事もあります。
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「やえやま」さんより、「つしま」さんへロープが渡りました。何故か、雨の昨年9月30日を思い出しました。「back to 0930」。
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この時、左手には海上保安庁さんの「ゆうづき」さんが待機されていた事もあったのですが、「やえやま」さん、「つしま」さんの間近には行かれませんでした。通常、この地点は、掃海艦さんがたに最も近い距離を通過するのですが。通常よりもかなり距離があったのですが、「やえやま」さんが4月末日より、更に傷だらけである事に気付きました。
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5月13日(金)14時26分。痛々しいです。錆が流れ、傷だらけです。
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3月11日(金)14時26分。ほぼ、同じ角度の記録です。美しい木目が陽光に煌めいていました。
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「やえやま」さんは傷だらけですが、皆様はお元気そうに見えました。安堵しました。「つしま」さんも少し傷と錆が見えますね…
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通常よりも距離が開いていましたので、この時、「つしま」さんの方々がお帽子を振って下さっていた事に気付けませんでした…。すみません。帰宅後、画像を確認し判りました。
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傷ついたお姿を記録しておかなくては…3月11日以降、横須賀に戻られたのは、僅か2回。ほんの数日間。東日本大震災発災した頃は、被災地は真冬でした。雪も降り、雨も降り…その2ヶ月を物語る「傷」です。今日も、この2ヶ月間、災害派遣に向かわれていた事は『YOKOSUKA軍港めぐり』で案内されませんでした。掃海艦さんがたの前で災害派遣に向かわれていた事を案内したくないのかもしれませんね。ここまで続くと。EOD員の方々が懸命の捜索活動を続けられていた事も案内されません。掃海艦・機雷掃海に関しての案内です。間違ってはいません。正しい案内です。ですが、今、何故に災害派遣について全く触れないのでしょうね。勿論、全ての案内人の方々が触れない訳ではありません。
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自分の身体が傷ついているかのようにさえ思えます(実際、今、両手・腕が傷だらけです。幸い、指は曲げられるようになりました)。「艦は人。生きている」と思っていますので。災害派遣より戻られた殆どの艦艇さんがたが「負傷」していました。
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本日はreflexを使用していませんでしたので、300mmでいっぱいに寄って。遠かったです。ですが、この時、掃海艦さんがた付近は入り組んでいました。秋澤船長、ぎりぎりまで引っ張りました(時間)。
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「はちじょう」さんは、先に戻られていました。本日ではなかったようです。静かに休んでいらっしゃるように見えましたが、付近は動きがありました。
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投稿準備の為、本日の画像を確認していたところ、ふと思い出されたのは、昨年11月の油津港での第51掃海隊の皆様。約半月間の厳しい日向灘での掃海特別訓練を終えられ、油津港に戻られた翌々日。
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同日、雨上がりの第1掃海隊の掃海艇さんがた。艦番号が見えづらいですが、「みやじま」さん、「いずしま」さん、「あいしま」さん。東日本大震災の被災地へ向かわれたのは「みやじま」さん、「あいしま」さん。

東日本大震災以降、これまで以上に頻繁に記録を確認し続けています。本日、約半月ぶりに横須賀に戻られた掃海艦「はちじょう」さん、「つしま」さん、「やえやま」さん(ご到着順)。これよりの皆様の「行動」は、まだ判りません。今月末、高松港へ向かわれるのは、「つしま」さんでしょうか(「つしま」さん、ゆかれないようですね…)。
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3月11日より「2ヶ月が経過した日」、横須賀に戻られた掃海艦さんがたの「速報」にて。
by guardianvein | 2011-05-13 23:32 | 東日本大震災 災害派遣
昨日(5月12日)、日本テレビさんの夕方のニュース「news every.」にて、今も被災地の海で行方不明の方々の捜索を続けられている海上自衛隊掃海部隊にご所属のEOD員の皆様が放送されました。こちらでも懸命に情報を日々追っておりますが、現在、被災地にて活動を続けられている掃海部隊の皆様の詳細(全体)がなかなか判りません。ですが、情報は少しずつあります。全く判らない訳ではありません。海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況」、自衛艦隊さんsite「オペレーション」、そして、テレビの映像を繋ぎ合わせる日々です。
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昨日の岩手県陸前高田市(広田湾でしょうか)での捜索活動の映像に出て来られた方々で、ご所属が判ったのは、掃海隊群司令部EOD班・掃海艦「つしま」さんEOD員さん、掃海艦「はちじょう」さんEOD員さんでした。今年1月26日、こちらの記録内にいらっしゃる皆様。横須賀にご所属の皆様は、ほぼ全ての方々がお顔ぶれで確認出来ますが、被災地で活動を続けられているEOD員の皆様は、横須賀にご所属の方々のみではありません。
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日本テレビさん「news every.」の映像をキャプチャーさせて戴きました。掃海艦「つしま」さん、「はちじょう」さんEOD員の皆様は確認出来ます。そして、4月26日に第二海堡付近での不発弾水中爆破処理をなさった際の横須賀水中処分隊の皆様の映像も。東日本大震災以降(この1ヶ月)、テレビではEOD員の皆様を「水中爆発物処理班」と紹介されるようになりましたね。また、こちらのブログは、5月3日、フジテレビさん夕方のニュース「スーパーニュース」での掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さんEOD員の皆様の捜索活動の放送以降、アクセスが急増しています。検索キーワードも「海上自衛隊 爆発物処理班」「海上自衛隊 EOD」「水中処分員」で占められています。
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海中の視界は良くても3m程度。この日は10cmほどであったようです。殆ど見えない状態です。いきなり、目の前に何かが現れる状態。釘など鋭利なものがむき出しになっている事もあるそうです。海底から海面まで瓦礫などが積み重なる状況において、捜索活動を続けられているEOD員の皆様。3月11日以降、数日ごとに横須賀に戻られてはいますが、ほぼ、この2ヶ月、被災地に向かわれています。こうして、テレビで放送される事で、より多くの人々が、皆様の懸命の捜索活動を知る事が出来ます。テレビでの放送がきっかけで、初めて「水中爆発物処理班」の皆様の存在を知る方々もいらっしゃるでしょう。「強い思い」をもって、今も捜索活動を続けられている皆様。掃海隊群司令部EOD班にご所属の近藤さんのお言葉は、この2ヶ月、ずっと大切なご家族の帰りを待ち続けていらっしゃる方々の大きな支えとなるでしょう。

「もし自分の家族が行方不明になっていたと考えると…一日も早く海からあげたいと思います」

海上自衛隊爆発物処理班=EOD員の皆様が、横須賀の海に、ご所属各地の海に戻られる日が、いつになるのか判りません。東日本大震災が起きていなければ、この季節、横須賀の「吾妻島前」には、多くのEOD員の皆様が訓練をなさっています。1年で最も多く訓練をなさる時期です。ですが、今はどなたもいらっしゃらない。テレビでの映像を観ていると、時折、横須賀の吾妻島前にいらっしゃるかのように思える事があります。
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掃海艦「つしま」さんEOD員の皆様。捜索されている被災地の海岸線のようです。特に昨日放送された映像の中には、これまでEOD員の皆様が横須賀の海で訓練なさっている際と重なる光景が多々ありました。
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10mを超える強風の日に訓練なさっていた「つしま」さんEOD員の皆様。強風の日でも、雨の日も、雪の日も、極寒の日も、常に皆様は訓練をなさっています。
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東日本大震災以降、吾妻島前の記録が、被災地の海岸線に見えてなりません。時に視界1cmの吾妻島前の海。通年、「当たり前」にその殆ど見えない海で訓練を続けられていたEOD員の皆様ですが、吾妻島前の海には、大津波が奪い去った「日常」は堆積していません。どれほど難しい捜索活動を続けられている事でしょう。どうか、捜索活動が続けられる限り、報道も続けられる事を切に願っています。そうでなければ、多くの人々が気付かずに過ぎてしまいます。
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地震発生2ヶ月前の掃海隊群司令部EOD班の皆様と吾妻島海岸。東日本大震災が起きていなければ…大津波が起きていなければ…東北地方の海岸線は、この日の吾妻島前のように穏やかで、より美しい景観を誇っていたのに…。
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東日本大震災発災前日まで訓練をなさっていた「水中爆発物処理班」の皆様。掃海隊群司令部EOD班・掃海艦「やえやま」さんEOD員・横須賀水中処分隊の皆様。全ての方々が被災地へ向かわれました。横須賀水中処分隊の皆様は4月下旬に横須賀に戻られましたが、掃海部隊の皆様は、今も被災地にて活動を続けられています。ですが、現在、詳細がなかなか判りづらくなっています。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況」、自衛艦隊さんsite「オペレーション」より転載させて戴きます。被災地洋上の掃海艇「まきしま」さん。護衛艦「ちくま」さん…その遥か沖合には、掃海母艦さん。「うらが」さんに見えるのですが。そして、捜索されるEOD員の皆様。「やえやま号」であると思うのですが、その横には打ち上げられている船舶、潜水の装備なしで泳いで捜索されているEOD員さん…。

東日本大震災発災より2ヶ月が経過しても続けられている「災害派遣」。懸命の捜索活動。先週土曜日、掃海隊群司令部EOD班のEOD員さんにお会いした際、お元気であった事に心から安堵致しましたが、再び被災地へ向かわれるとお聞きした数日後の映像でありました。我が身を挺して活動を続けられる皆様を案じ続ける日々です。
by guardianvein | 2011-05-13 01:39 | 東日本大震災 災害派遣
昨日、フジテレビさんの夕方のニュースにて、今も続けられる「海上自衛隊 東日本大震災 災害派遣」の映像が約20分放送されました。海上自衛隊さんの被災地でのご活動を映像で見られる機会は毎日ある訳ではありません。映像は、呉より被災地へ向かわれている輸送艦「くにさき」さんの宮城県石巻市の渡波地区の被災者の方々への入浴支援より始まりました。こちら『gvein(別館)』では、第51掃海隊の皆様にて投稿致します。「全編」は、先に『日報』へ投稿しています。
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フジテレビ取材団の方々は、呉より被災地へ向かわれている護衛艦「あけぼの」さんへ。更に「あけぼの」さんの内火艇にて、掃海艦「はちじょう」さんへ(僭越ながら…フジテレビさん…掃海艇「はちじょう」ではなく、掃海艦「はちじょう」です…)。
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「はちじょう」さん艦上に集まられていたのは、ごめんなさい。お一方お名前が判らず大変申し訳ないのですが…掃海艦「はちじょう」さん・「やえやま」さんEOD員の皆様です。捜索エリアを伝えられているのは、「はちじょう」さんEOD Team(EODT)の大野さん、前列手前より「やえやま」さんEODTの江川さん、「はちじょう」さんEODTの坂田さん・橘さん、「やえやま」さんEODTの鮏川さん、後列手前より「はちじょう」さんEODTの寺沢さん、「やえやま」さんEODTの松本さん・中島さん・西村さん。「海上自衛隊 爆発物処理班」のお背中は「やえやま」さんEODTの仁谷さん。横須賀にご所属のEOD員の皆様です。本来は、海に潜む機雷や不発弾の処理をされる「海の爆発物処理班」の皆様ですが、東日本大震災では、大津波が無情にも奪い去った美しい東北地方海岸線の「日常」が海中に想像を絶する規模で堆積しています。EOD員の皆様は、機雷などを自らの手で爆破処理準備をされる、大変危険な任務に就かれる方々なのですが、その方々をも阻む大変厳しい状況下においての懸命の捜索活動です。EOD員の皆様は、平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震の際も災害派遣に向かわれています。奥尻島を襲った大津波。痛ましい甚大な被害をもたらしましたが、東日本大震災は、あまりに被災地が広範囲にわたっています。
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東日本大震災発生1ヶ月前の「51MD EODバリケード」。「やえやま」さん・「はちじょう」さんEODTの皆様。『YOKOSUKA軍港めぐり』でも、見学機会の多い方々ですが、東日本大震災発生後より、殆ど、横須賀に戻られていません。
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この日、皆様が捜索されていたのは、岩手県陸前高田市の広田湾。雨がかなり降っています。その事だけでも、海は暗く、また、皆様はドライスーツ。真冬の装備です。映像では「視界は1mほどしかない」との事でしたが、皆様が通年訓練されている横須賀の吾妻島前は時として視界1cmだそうです。その海で「普通」に訓練されていますが、被災地の海は、全く状況が異なります。図説されているように、お一人を基点にして、時計回りに捜索されているそうです。思ったように動けない。どれほどもどかしい事でしょう。いつも横須賀で見ている皆様は、「イルカの化身」のようなのですが。これまで、3度の集中捜索が行われましたが、皆様はその期間内に限らず、懸命の捜索活動を続けられている事は、海上自衛隊さん、自衛艦隊さんの各siteにて確認しています。皆様は、3月11日以降、横須賀に戻ったのは、2回だけです。僅か数日間。殆ど、戻られません。先週、約1ヶ月ぶりに、ようやく戻られましたが、またすぐに出港されました。
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3月6日早朝。東日本大震災発生5日前、シンガポールにての合同訓練に向けて出港された「はちじょう」さん。
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福本掃海隊群司令を筆頭に横須賀の掃海隊群の皆様とご家族の皆様で、晴れ晴れしくお見送りした事が昨日の事のように思い出されます。この時、「やえやま」さんも「はちじょう」さんも、ご覧の通り。きちんと整備されていました。それが「常」です。
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先週、ようやく被災地より戻られた「はちじょう」さん、「やえやま」さんは、傷だらけになっていました。錨に錆が浮き、流れています。「災害派遣」。厳しい状況下において、被災地で活動を続けられていた事を物語っています。このお姿を決して忘れてはならないです。

前回(先月)、フジテレビさんで放送された掃海隊群司令部EOD班の皆様の映像は、録画する事が出来ず、今も悔やまれております。出来る限り、ニュースなど注視しているのですが、なかなか追いつけず…それでも少しずつ記録に残しております。現在、こちらのブログの検索キーワードは、1位から10位まで、ほぼ「海上自衛隊 爆発物処理班」となっています。1つだけ、「ありがとう自衛隊お菓子」と云うキーワードが入っています。被災者のお方でしょうか。懸命に続けられる捜索活動の様子がニュースなどで報じられるよう、切に願っています。出来る限り、多くの国民が知る為に。知っておかねばならないからです。「献身」を、この目で見ておかなくてはならないのです。
by guardianvein | 2011-05-04 04:55 | 東日本大震災 災害派遣
『日報』投稿0429分を再編し、こちら『gvein(別館)』に投稿します。4月29日の『YOKOSUKA軍港めぐり』の記録をもとに、「東日本大震災 災害派遣」の掃海部隊の皆様を中心にご活動を転載させて戴きます。現在、『YOKOSUKA軍港めぐり』では、海上自衛隊さんの災害派遣・米海軍さんのトモダチ作戦について、殆ど案内されない便があります。目の前に、被災地より戻られたばかりの艦艇さんがたがいらっしゃる状況において。何故なのでしょう
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数日前に、約1ヶ月ぶりに被災地より戻られたばかりの掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さん。昨日の14時便では、災害派遣についての案内が全くされなかったばかりではなく、「だじゃれ」の案内がされた事に驚きました。14時便は新井剛さん。敢えて名指しです。東日本大震災後に「だじゃれ案内」はあり得ません。被災地より約1ヶ月ぶりに戻られた直後の皆様を前に「だじゃれ」はあり得ません。一方、13時便・15時便、しっかり丁寧に45分間を案内をされたのは、瀧元あずさ嬢でした。あまりに差があり過ぎました。何便も続けて乗船していれば、その「大差」が判りますが、14時便のみの乗船であったお客さまには、「はちじょう」さん、「やえやま」さんが約1ヶ月ぶりに被災地より、ようやく横須賀に戻られた事が伝えられなかった事になります。3月11日、東北地方太平洋沖地震=東日本大震災発生直後に出港されてより、防衛省さん発表の資料だけでも、これほどの「情報」があります。

掃海艦「やえやま」さん→3月11日、東北地方太平洋沖地震発生直後に横須賀を出港、
21日→宮城県牡鹿郡女川町高白浜地区の被災者へガムテープ3個、油性マジック39本、ビニールテープ3個、ボールペン10本提供、女川町尾浦地区へ乾パン256個、主食缶詰24個、スプーン100本、ガーゼ3箱提供、22日→女川町御前地区へ乾パン64、主食缶詰48、オレンジスプレッド72、女川町指ヶ浜地区へ乾パン32個、主食缶詰48、懐中電灯3、乾電池60、宮城県石巻市雄勝町水浜地区へ懐中電灯2、乾電池20、洗剤2、食器洗剤5、消毒用エタノール5本、滅菌ガーゼ2箱、三角巾5袋、さらし2反、雄勝町呉壷地区へ米25kg、水50L、主食缶詰216、副食缶詰240、乾電池80、ロウソク 32本、トイレットペーパー80個それぞれ搬送、23日→雄勝町水浜地区へ紙おむつ110枚、粉ミルク2缶、生理用品22枚、おしりふき8パック、ウェットティッシュ30個、タオル5枚提供、24日→宮城県石巻市雄勝町荒地区へタオル10枚、ティッシュ10箱、乾電池40個、洗剤2個、食器洗剤4L、漂白剤1本、ロウソク40本、ウェットティッシュ30個提供、石巻市北上町十三浜小指地区へ缶飯48個、副食缶詰96個、乾電池60個、洗剤2個、漂白剤1 本、ロウソク40本、タオル6枚、紙おむつ352枚、粉ミルク4缶、おしりふき24個提供、北上町十三浜大室地区へ米10kg、副食缶詰192個、消毒用エタノール3個、洗剤2個、木炭18kg、タオル13枚、ウェットティッシュ26個提供、26日→宮城県本吉郡南三陸町歌津南の沢・田の浦地区へ水 24L、野菜30kg、乾電池170個、懐中電灯2個他支援物資搬送、南三陸町歌津港地区へ味噌7.5kg、乾パン128袋、野菜27kg他救援物資搬送、宮城県気仙沼市本吉町蔵内地区へ主食缶詰120個、副食缶詰240個、味噌2.5kg、乾パン128袋、野菜10kg、乾電池70個他救援物資搬送、気仙沼市本吉町今朝磯地区へ野菜40kg、乾電池189個搬送、27日→宮城県牡鹿郡女川町(女川湾)野々浜地区へ生活用品、食料等救援物資搬送、女川町高白浜地区へ食料、医薬品等救援物資搬送、宮城県石巻市雄勝町(雄勝湾)水浜地区へ食料、生活用品等救援物資提供、雄勝町船戸神明・雄勝呉壺地区へ水、生活用品等救援物資提供、雄勝町小島地区へ食料提供、4月5日→雄勝湾にてベビーフード2箱、おしりふき2箱、水30本、懐中電灯5個、乾電池88個、ポリタンク5個、割り箸500本、菓子4箱等提供(3回)、9日→志津川湾泊浜(宮城県本吉郡南三陸町)の被災者の方々へ救援物資搬送、

掃海艦「はちじょう」さん→3月6日にシンガポールでの合同訓練へ向けて横須賀出港、13日(?)被災地へ
26日→気仙沼市本吉町前浜地区へ乾電池200個、清涼飲料水90本、胃腸薬5箱他救援物資搬送、気仙沼市本吉町小金沢地区へ主食缶詰100個、副食缶詰 150個、烏龍茶100本他救援物資搬送、気仙沼市本吉町天ヶ沢地区へ毛布50枚、副食缶詰300個搬送、27日→宮城県牡鹿郡女川町(女川湾)小屋取地区へ燃料等救援物資搬送、女川町(御前湾)指ヶ浜地区へ生活用品提供、女川町尾浦地区へ生活用品提供、4月4日→大須地区(宮城県石巻市)の被災者の方々へ食糧・日用品等提供、9日→志津川湾歌津地区(宮城県本吉郡南三陸町)の被災者の方々へ救援物資搬送、

救援物資搬送のみでも、これほどの情報があり、更に、掃海艦さんがたは3度の行方不明の方々の集中捜索、沿岸部の捜索活動を続けられていたのです。
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NHKさんsiteのニュースより、3度目の集中捜索の動画をキャプチャーさせて戴きました。右上の場面、画像が小さいので判りづらいかもしれませんが、掃海艦さんがたです。「やえやま」さんと「はちじょう」さんです。僅か5日前の事です。

東日本大震災で行方が分からなくなっている人たちを捜すため、自衛隊は、25日、アメリカ軍や警察などとともに、岩手県から福島県にかけて3度目となる大規模な捜索活動を行っています。
自衛隊などによる3度目の捜索活動は、およそ2万5000人の態勢で行われ、ヘリコプターなどおよそ90機と護衛艦などおよそ50隻が参加しています。捜索は、岩手県から福島県にかけての陸上部と沿岸部、それに沖合に加え、これまでの大規模捜索では行われなかった福島第一原子力発電所から半径30キロ以内の陸上部や沖合でも行われています。このうち、全校児童108人のうち74人が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校の周辺では、自衛隊員や消防などおよそ650人が、津波で流されてきた大量の土砂を、スコップなどで丁寧に掘り起こしながら捜索に当たっていました。被災地では、今もおよそ1万2000人の行方が分からないままで、自衛隊などは、26日までの2日間、捜索に全力を挙げることにしています。
NHKさんsiteより)

更に、海上自衛隊さん、自衛艦隊さんの各siteには東日本大震災のご活動の写真が大変多くあります。その中には掃海艦「やえやま」さんEOD員(潜水員)の方々が日々、懸命の捜索を続けられている写真が多々あります。自衛艦隊さんsite「ニュース→オペレーション」より転載させて戴きます。
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海上自衛隊の隊員が、被災地沿岸域で実施している行方不明者の方々の捜索活動の模様です。

震災発生から間もなく6週間が経過しますが、行方不明者の数は未だに13000名を超え、一刻も早い発見が待ち望まれています。そのため、現場の隊員たちは、連日全力を尽くして捜索を実施しています。

左の写真からわかるように、被災地付近の海面は、材木やブイなどの漂流物によって覆われていることが多く、それらをかきわけるようにして、慎重な捜索を実施しています。
右の写真は、津波によって流された神社の屋根に登って捜索活動を実施する隊員の様子です。
自衛艦隊さんsite「オペレーション」より)
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岩手県大船渡湾において、掃海艦「やえやま」乗員が実施している、行方不明者の方々の捜索活動の模様です。

下の写真から分かるように、大船渡湾には現在も、津波によって流されたカキ筏や建材などのがれきが多く残されており、隊員は、それらのひとつひとつを丹念に確認して、行方不明者の方々の捜索にあたっています。
自衛艦隊さんsite「オペレーション」より)
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自衛艦隊さんsite「オペレーション」から、「やえやま」さんEOD員の皆様が宮城県・岩手県境の広田湾、宮城県名取市の閖上漁港、岩手県の大船渡湾にて行方不明の方々の捜索をされている事が判りました。これだけの情報がありながら、何故、「はちじょう」さん、「やえやま」さんの目の前で「だじゃれ案内」が出来て、災害派遣に向かわれていた事が案内されないのでしょうね。一方、限られた時間内で、しっかり丁寧に、そして親身になって案内をされた瀧元あずさ嬢。今回は、敢えて、名指しとしたのは、今後、「だじゃれ案内」がされない事を強く願ってです。「この艦は、これまで紹介してきた艦と違います。それは、大きさが違います。これを云ってしまうと、掃海艦だけに、ああ、そうかい。…今日はあまり笑って貰えませんねぇ」。当たり前です。笑える訳がないでしょう?こんな事、書きたくない。二度と。
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昨日、3月6日以来、ようやく第51掃海隊の掃海艦さんがたが揃われました。「つしま」さん、着岸直後です。まさに、着岸される際、『YOKOSUKA軍港めぐり』のSea friend V号さんが通過したのです。15時便、しっかり丁寧に案内された瀧元あずさ嬢の「お帰りなさい」の声と共に、2Fデッキの多くのお客さまが掃海艦さんがたに手を振り、「はちじょう」さん、「やえやま」さんの皆様も笑顔でお帽子・手を振って下さったのです。これこそが、『YOKOSUKA軍港めぐり』。
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最も、近い距離を通過するのは、掃海艦さんがた地点です。まさに目の前に被災地より戻られた方々がいらっしゃるのです。被災地と直結する『YOKOSUKA軍港めぐり』。
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田浦中学校前には、やはり被災地より戻られている第43掃海隊の掃海艇「とよしま」さん。下関より被災地へ向かわれています。写真からでは判りづらいかもしれませんが、艦橋横に「災害派遣」の幕が掲げられています。「とよしま」さん、東日本大震災発災後より、幾度も横須賀と被災地を往復されています。

掃海艇「とよしま」さん
3月19日→宮城県石巻市雄勝町立浜地区(龍澤寺)の被災者の方々へガソリン18L輸送、雄勝町クリーンセンターの被災者の方々へガソリン18L提供、30日 →搭載艇にて岩手県釜石市唐丹地区の被災者の方々へ缶詰408個輸送、31日→岩手県大船渡市三陸町綾里地区コミュニティセンターの被災者の方々へ缶詰 144個、副食缶詰288個、乾パン128個、毛布20枚、トイレットペーパー100個、ペーパータオル150個提供、
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田浦中学校前には、やはり約1ヶ月ぶりに第41掃海隊の掃海艇「すがしま」さん。大型連休初日の祝日にも関わらず、「すがしま」さんの皆様が作業をなさっていました。「すがしま」さんは災害派遣での情報がありませんが、各掃海部隊から、2隻ずつ被災地へ向かわれています。全ての皆様が被災地へ向かわれてしまうと、本来の任務に支障が出てしまいます。26日には被災地より戻られた直後の横須賀水中処分隊の皆様が、東京湾第二海堡付近での不発弾水中爆破処理をなさっています。
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横須賀水中処分隊さんがいらっしゃる地点。新井掘割水路を抜ける頃。「機雷桟橋」上には、機雷と「災害派遣 海上自衛隊横須賀地方隊」の車輛。ほぼ全ての地点で、目の前は被災地と直結しています。
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長浦港に戻ります。船越側には、第42掃海隊の掃海艇「つきしま」さん、「まきしま」さん。神戸より被災地へ向かわれています。「とよしま」さんと同じく、東日本大震災発災直後より、幾度も被災地と横須賀を行き来されています。

掃海艇「つきしま」さん
3月18日→宮城県気仙沼市唐桑町神止地区の被災者150名の方々へ主食缶詰168個、副食缶詰244個、飲料水168本、日用品提供、(気仙沼東湾)神止地区へ飲料水168個、電池150個、赤飯167個、牛肉缶詰144個、おにぎり150個輸送、20日→つきしま・くめじま・まきしま(第42掃海隊)岩手県大船渡湾にて海上保安庁測量船「昭洋」へ航路港湾啓開支援実施、22日→神止地区の被災者の方々へ非常用糧食480食、灯油18L、乾パン192食提供、唐桑町津本地区の被災者の方々へ灯油18L提供、26日→神止地区の被災者の方々へウェットティッシュ16個、タオル108枚、バスタオル3枚、ポリ袋2,200枚、乾パン384個提供、4月7日→搭載艇にて神止地区の被災者の方々へ水438本、清涼飲料水157本、ウェットティッシュ108個他生活物資搬送、9日→気仙沼東湾にて水没車輛捜索実際、

掃海艇「まきしま」さん
20日→つきしま・くめじま・まきしま(第42掃海隊)岩手県大船渡湾にて海上保安庁測量船「昭洋」へ航路港湾啓開支援実施、22日→磯草地区(宮城県気仙沼市大島)の被災者の方々へ非常用糧食240食、灯油36L、乾パン64食提供、25日→七半沢地区(気仙沼市長磯)の被災者の方々へ非常用糧食264 個、ウィンナー240缶、オレンジスプレッド192本、たくあん缶144個、乾パン64袋、清涼飲料水200本、飲料水2L18本、さんま蒲焼120個、パイン缶24個搬送、26日→岩月台ノ沢(気仙沼市)の被災者の方々へトイレットペーパー70個、タオル13枚他救援物資搬送、七半沢地区の被災者の方々へ非常用糧食264個、前浜地区・母体田地区(気仙沼市)の被災者の方々へトイレットペーパー50個、タオル13枚、水36L、乾パン128袋、副食瓶詰 60個、副食缶詰72個、灯油60本他救援物資搬送、4月7日→搭載艇にて気仙沼地区の被災者の方々へ慰問品(菓子)10箱搬送、8日→搭載艇にて前浜地区の被災者の方々へ救援物資搬送、
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船越岸壁には、護衛艦「さわゆき」さん。多くの乗員の方々が作業をなさっていました。アンカーがこれほど錆びている事など、めったにありません。海上自衛隊さんの艦艇さんがたは、常にきちんと整備されている為、このような状態のアンカーは殆ど見られないのです。
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掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さんのアンカーも錆び、流れています。しかも、船体もかなり傷ついています。と云うより、傷だらけです。
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こちらは4月初めの補給艦「ましゅう」さん。被災地より戻られた直後。大きな傷跡。このような状態など、殆どあり得ません。今も続けられているソマリア沖・アデン湾における派遣海賊対処行動に向かわれていた護衛艦さんがたがお帰りになられた時のようです。しかも、横須賀の港各所の艦艇さんがたの多くが、このような状態なのです。長期に渡り、厳しい状況下において活動を続けられていた事を私たちに教えて下さっているのです。
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今一度、護衛艦「さわゆき」さん。武器装備の案内がされていましたが、3月11日、東北地方太平洋沖地震発生直後に横須賀を出港され、懸命の救助救援活動をなさっています。

護衛艦「さわゆき」さん
3月12日→搭載ヘリコプターにて岩手県陸前高田市立高田病院付近より石巻赤十字病院へ被災者9名の方々を搬送、陸前高田市役所屋上から避難場所まで被災者5名の方々を搬送、18日→宮城県雄勝湾水浜地区(宮城県石巻市雄勝町水浜)の被災者の方々へおにぎり300個、毛布50枚、日用品提供、搭載ヘリコプターにて自然の家(宮城県東松島市・南三陸町?)より石巻赤十字病院へ被災者2名搬送、19日→名足小学校(宮城県南三陸町立)の被災者の方々へ米100kg他日用品提供、大須小学校(宮城県石巻市立)の被災者の方々へ灯油ポリタンク30提供、泊浜地区(南三陸町?)の被災者の方々へおにぎり60個、飲料水120L、カップ麺84個、インスタントスープ1,000個提供、搭載ヘリコプター(SH-60K76)にて名足小学校の被災者の方々へ菓子パン550個、箱入りうどん4箱、カップ麺420個、520ml水ペットボトル864本、シャツ60枚、解熱剤(箱入り)100箱、おむつセット2、生理用品セット12、簡易トイレ3等提供、搭載ヘリコプターにて名足小学校の被災者の方々へ飲料水864本、菓子パン550個、即席麺420食他生活用品搬送(2回目)、搭載ヘリコプター(SH-60K76)にて水浜保育所(宮城県石巻市雄勝町)跡地の被災者の方々へカップ麺324個、シャツ60枚、簡易トイレ2等提供、搭載ヘリコプターにて水浜保育所跡地の被災者の方々へ即席麺324個、漬物4箱他日用品提供(2回目)、20日→搭載ヘリコプターにて(全日)名足小学校の被災者の方々へ米10kg、紙コップ160個提供、大須小学校(石巻市立)より石巻赤十字病院へ救急患者1名搬送、大須小学校の被災者の方々へ灯油540L搬送・空ポリタンク38個提供、原地区針岡第1原会館(石巻市)の被災者の方々へおにぎり400個、カップ麺180個、水240L、灯油540L、毛布25枚、菓子パン200個提供、雄勝中学校(石巻市立)の被災者の方々へ米40kg、カップ麺528個、水228L、灯油180L、菓子パン200個、解熱剤100個他生活用品等提供、名足保育所(南三陸町立名足保育園)の被災者の方々へ菓子パン100個、シャツ80枚、おむつ12箱、カップ麺180個、トイレットペーパー96個、離乳食28他生活用品等提供、21日→搭載ヘリコプターにて(全日)石巻総合運動公園の被災者の方々へ使い捨てカイロ390個、下着類450枚、タオル72枚、乾電池443個他生活用品等提供、空ポリタンク31個・生活用品等を護衛艦「とね」へ搬送、名足保育園の被災者の方々へ生理用品133セット、下着類770枚、乾電池443個、ビニール袋600枚他生活用品等搬送、名足小学校・大須小学校の被災者の方々へα米200食、レトルトカレー390食、日用生活品等搬送、大須小学校の被災者の方々へ使い捨てカイロ190個、靴下282足、生理用品100セット、レトルトカレー390個、トイレットペーパー168ロール他生活用品等搬送、22日→搭載ヘリコプターにて(全日)飯野川中学校(石巻市立)の被災者の方々へ軽油ポリタンク7搬送、飯野川中学校の被災者の方々へ支援物資搬送(2回目)、4月14日→宮城県気仙沼市沖の大島長崎港にて被災者55名の方々へ入浴支援、15日→大島の被災者16・32名の方々へ入浴支援実施(2回)、20日→搭載ヘリコプターにて福島第1原子力発電所30km圏内捜索、21日→搭載ヘリコプターにて福島第1原子力発電所30km圏内の捜索、

発災翌日から救助、懸命の救援物資搬送、4月からは入浴支援へ。そして、福島第1原子力発電所30km圏内の行方不明の方々の捜索にあたられ、横須賀に戻られた直後です。被災地に向かわれた全ての艦艇さんがたが長期に渡り被災地を、被災された方々を懸命に支えています。全てのご活動を『YOKOSUKA軍港めぐり』で案内する事は不可能ですので、せめて、こちらのブログでは、写真と共に判っている限りのご活動を記載しています。

【4月26日午前6時現在】海上自衛隊さんサイトより 「輸送等の支援活動」
救援物資の輸送状況 艦艇・航空機による輸送回数 約10,050回
糧 食:約23万4千食
飲料水:約40万5千リットル(清涼飲料水含まず)
毛 布:約1万3千枚
ガソリン・軽油:約6万リットル
灯 油:約9万2千リットル
乾電池:約6万5千本
その他:衛生用品、生活用品等
各自治体等からの依頼物品を含む
(各数値は速報値であるそうですので、変更となる場合もあるそうです)

各艦艇に乗艦する移動衛生班の診療実績
移動衛生班:4個班
歯科班:1個班
診療及び健康診断の実績:累計2,600名
(現在、宮城県東松島市の宮戸島・宮城県塩竈市浦戸諸島4島などの離島へ巡回診療を実施中だそうです)
この他、入港した艦艇乗員など、隊員の方々へのメンタルヘルスケアを実施されているそうです

避難住民支援(八戸航空基地)※3月11〜4月15日までの間
宿泊支援:累計6,000名
診療支援(メンタルヘルスケアを含む):約1,300名
災害瓦礫の集積・撤収・搬送作業
延べ人員:約320名 災害瓦礫:10tダンプカー約420台分搬送

その他
入浴支援・小学校への通学支援等実施されているそうです

沿岸及び離島の孤立地域に対する支援
海上自衛隊さんでは、震災のため陸路から孤立した地域や離島に対して、医療や物資の輸送など生活支援を実施中であるそうです。
特に、気仙沼大島、浦戸4島の桂島・野々島・朴島・寒風沢島、宮古島(宮城県東松島市の宮戸島でしょうか)は、一部生活インフラの整備が未だ不十分な地域もあり、引き続き支援を実施しているそうです。
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現在、海上自衛隊さんsiteのトップに「CHEER FOR MOVE」へのバナーがあります。ここより、被災地にて懸命のご活動を続けられる皆様へのメッセージを送る事が出来るようになっています。

東北地方太平洋沖地震=東日本大震災発生より、間もなく7週間が経過します。今も続けられる懸命の捜索救難救援支援活動。私たちは、十分に十二分に皆様が立派なご活動を続けられている事を判っています。判っていますが、今、改めて、応援のメッセージを皆様へ。
by guardianvein | 2011-05-02 01:11 | 東日本大震災 災害派遣
1ヶ月ぶりに2日続けて横須賀へ向かいました。本日より大型連休。『YOKOSUKA軍港めぐり』は各便満員が予想され、昨年までは乗船していませんでした。ですが、今年は違います。前日、被災地より戻られた方々を確認していましたので、敢えて乗船しました(昨日は強風の為、全便欠航)。そして。
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本日、3月6日以来、約2ヶ月ぶりに51掃海隊の掃海艦さんがたが揃われたのです。涙が出そうになりました。
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本当に、この日以来です。「はちじょう」さんがシンガポールにての合同訓練の為、横須賀を出港されたのが3月6日。東日本大震災=東北地方太平洋沖地震発生の5日前。
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4月1日に出港されて以来、約1ヶ月、被災地にて災害派遣活動の任務を続けられていた「はちじょう」さん、「やえやま」さん。本日は、「つしま」さんが戻られましたので、「はちじょう」さん、「やえやま」さんの方々のお姿がありました。15時便、大勢のお客さまが2Fデッキから手を振っていたと思います。『YOKOSUKA軍港めぐり』案内人・瀧元あずさ嬢が、この時、素晴らしい案内をしてくれていました。前便(別の案内人)では、災害派遣に向かわれていた事は全く案内されなかったのです(言語道断)。次15時便では、しっかりと瀧元あずさ嬢、「数日前に被災地より戻られたばかりです」。引きの画像では判りづらいかもしれませんが、「はちじょう」さん、「やえやま」さん艦橋横にいらした方々が笑顔でお帽子を振って下さった時、本当に安堵しました。ずっと皆様を案じておりました。
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「つしま」さんは、この時、着岸。「やえやま」さんの皆様が着岸のお手伝いをなさっていました。一瞬、東日本大震災が起きる前に戻ったかのように思えました。
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時間が3月11日以前に戻ったかのように思えました。ですが、本日は4月29日。東日本大震災から7週間の日です。祝日でもあるのですが、横須賀の港は「休み」ではありませんでした。今も東日本大震災の災害派遣が継続している事を痛感しました。
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暦では大型連休ですが、記録の写真は大型連休=休暇期間でない事を物語っています。横須賀の港各所が動いているのです。
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船越側には、第42掃海隊の掃海艇「つきしま」さん、「まきしま」さん。神戸より被災地へ向かわれています。
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田浦中学校前には、第41掃海隊の掃海艇「すがしま」さん。「すがしま」さんのお姿を目にするのも、本当に久しぶりです。「すがしま」さん上にも、幾人かの方々のお姿が見えていました。
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「すがしま」さんの前方には、第43掃海隊の掃海艇「とよしま」さん。下関より被災地へ向かわれています。「とよしま」さん艦橋横には「災害派遣」の幕が掲げられています。「災害派遣」が続いている事を私たちに教えています。
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新井掘割水路を抜ける頃、機雷桟橋が見えて参ります。こちらにも「災害派遣 海上自衛隊横須賀地方隊」。今も災害派遣が続いている事が横須賀の港各所で私たちの目の前に。この時、横須賀水中処分隊さんの処分艇1隻が「稼働中」である事に気付いていたのですが…
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こちらにいらした事に気付くのが遅れました。逸見岸壁には護衛艦「やまゆき」さん。呉より被災地へ向かわれています。「やまゆき」さん潜水員の方々のお姿も見えます。横須賀水中処分隊のお二方と、何か…作業をなさっていたのでしょうか…。また、逸見岸壁にはたくさんの物資が準備されていました。
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機雷桟橋へ戻ってゆかれる横須賀水中処分隊のお二方。そう云えば…3月6日にNP-1桟橋でお会いしています。再び、時間が3月6日戻りそうでした。あと…「やまゆき」さんに自転車が見えます。艦艇さんがたに自転車が積まれているのは、珍しい事ではないですし、むしろ「標準装備」なのですが、こうして目に見える機会は少ないのです。前日、「やえやま」さんにも真新しい自転車が積まれる際を目にしています。被災地でのご活動に特に必要であるのでしょう。
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記録を確認すると、既にこの時点で、横須賀水中処分隊のお二方が「やまゆき」さん艦尾付近にいらした事が判りました。格納庫内のブルーシートがとても気になって写真に撮ったのですが、逆光が眩しく、お二方が見えていませんでした。26日には第二海堡付近で発見された不発弾の水中爆破処理をなさった横須賀水中処分隊さん。この日、『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船出来なかった事が悔やまれますが、致し方ありません。時間は戻せません。

こうして、大型連休初日ではありましたが、被災地と直結する横須賀の港は「休暇」ではありませんでした。今投稿は、再編した後、『日報』へ投稿致します。先に、こちら『gvein(別館)』に投稿します。これまでとは逆構成です。
by guardianvein | 2011-04-29 23:01 | 東日本大震災 災害派遣
東日本大震災災害派遣の投稿構成を思案してばかりではなく、考えてばかりではなく、行動しないと…と思い、本日、横須賀へ向かいました。一昨日、戻られた方々がいらした筈です。浦郷の能永寺に参拝した後、長浦港へ。今投稿は、先に『ver.YB』投稿分(文)を改め、『gvein(別館)版』として投稿致します。
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船越には、第42掃海隊の掃海艇「つきしま」さん、「まきしま」さんが被災地より戻られていました。約1ヶ月前と同じく。昨日の長浦港は、南西の強風が吹き荒れていましたが、やはり、とても静かでありました。「つきしま」さん、「まきしま」さんには、どなたのお姿が見えなかったように思いますが、田浦中学校前の岸壁を黙々と走り続ける方々がいらっしゃいました。「つきしま」さん、「まきしま」さんの皆様であったと思うのですが…。昨年11月、日向灘にての平成22年度機雷戦訓練の際も、油津港〜北郷温泉〜鵜戸神宮〜南郷まで走られる方々が多くいらしたのですが、弱輩の私などからすると、厳しい訓練でお疲れであろうに、何故、皆様、それほど走る事が出来るのか…と、地元の方々とも、つくづく「自衛隊の人たちはスゴい」と話していた事を思い出します。到底、私たち一般民間人には、なし得ない。その域にまで達する事は困難です。それを自らの免罪符とするのではなく、如何に無能な自分にも出来る事はないのか…と改めて思うのです。
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NP-1桟橋には、約1ヶ月ぶりに第51掃海隊の掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さんが被災地より戻られていました。こちらもとても静かに見えますが、実際には違います。「やえやま」さん後方では、数々の物資(機材?)を搬入されていました。少し距離はありますが、肉眼でもよく見えていました。じっと、皆様のお姿を見ていました。この約1ヶ月、「はちじょう」さん、「やえやま」さんは横須賀に戻られていない筈です。現在、以前のように頻繁に『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船出来なくなっていますが、少なくとも週に1日は乗船していますし、もし乗船していない間に戻られていれば、『YOKOSUKA軍港めぐり』スタッフの方(特に、掃海母艦「うらが」さんを共に見学させて戴いた秋澤さん)が云う筈ですので。3月11日、東北地方太平洋沖地震発生直後に「やえやま」さん、横須賀を出港されてより、戻られたのは僅か2度であると思います。「はちじょう」さんは、3月6日にシンガポールへ向けて出港されたましたが、その後、一度、横須賀に戻られ、被災地へ向かわれたと思います。大型連休が終わると、発災より2ヶ月です。これまでも掃海部隊の皆様は、長期の行動に出ておられる事が多かったのですが…。この7週間、過酷な状況下において災害派遣活動を続けられる皆様を案じ続けております。本日は、考え込んでばかりではなく、よく知る方々と会い、さまざま話そうと思い横須賀に向かいましたが、一時的には、東日本大震災前に戻って、楽しく話したりしますが、やはり「一時的」です。災害派遣が続く限り、考え続けるでしょう。考え続けなくてはならないのです。そして、頭で考えるだけではなく、無能な自分にも出来る事を見いだし、行動しなくてはなりません。
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約1ヶ月前と同じく、大型曳船さんの間近へ。横須賀港務隊の大型曳船YT79号さん、YT68号さん。あの日、日の入り刻を過ぎても、YT79号さんでは、ご準備が続けられていました。多用途支援艦「ひうち」さんと共に、真水を満載した米海軍さんバージ船を福島第1原子力発電所まで曳航される為のご準備を。2度に渡る福島第1原子力発電所岸壁への曳航。その際、大型曳船YT68号さんよりの映像は、今もニュースで流されます。横須賀に戻られて以降、初めてお二方の間近へ。間近に来て、初めて気付いたのは、上部のガラス部分は、ご準備を見ていて判っていたのですが、前方。「79」「68」の部分です。これまでの大型曳船さんとは異なっていました。映像(動画)を幾度も確認していた筈なのですが、気付いていなかったのです。
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お隣にいらした大型曳船YT67号さんが教えて下さっています。YT67号さんは、「これまでの」お姿です。このようにして、自分の足で歩き、自分の目で確認する事で、改めて「災害派遣」を目の当たりに、「被災地」と直結する横須賀の港を痛感するのです。

現在、投稿を集中させていた『日報』も、少し遅れ気味になっています。大型連休は出来る限り「巡礼」をしたいと思っていますが(12年に一度の「巡礼」は期間が限られています。5月24日まで)、これまでの東日本大震災災害派遣投稿を改めて再構築する予定です。時間的に厳しいのですが、厳しいと云っても、いち一般民間人ですので、何が厳しいものか、とも。考え、行動し、出来る限りの事を。
by guardianvein | 2011-04-29 00:06 | 東日本大震災 災害派遣