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ふりかけそーすけ別館 ver.guardian vein

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7ヶ月ぶりに投稿再開しました

<   2011年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧

呉滞在もあと1日となりました。明日には横浜・横須賀に戻ります。あっと云う間の1週間でした。まだまだ見学出来ていないところばかりです。本日は、火曜日。見学は「お休み」の日です。何かのパンフレットを観ていて、唯一、呉美術館が月曜日定休であると書いてあったように思い、呉美術館へ向かおうとしました。見事な松並木の坂道を歩き出したところ…前方に海上自衛隊さんの皆様のお姿。
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搬出されているようですので、お邪魔にならぬよう…と端を歩いていたのですが…「あれ?!」。
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何と、呉音楽隊の皆様でした。初めて呉を訪れましたので、ほぼ右も左も判らぬ新米見学者です。こちらが呉音楽隊の皆様の建物とは知らずに通りかかったのです。先週、雨の香川県、金刀比羅宮さん境内での「第60回掃海殉職者追悼式」の際に呉音楽隊の皆様にお会いしたのです。予期せぬ「再会」となりました。
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5月28日、金刀比羅宮さんでの「予行」も雨でした。呉音楽隊の皆様は、掃海殉職者顕彰碑の前にて準備されていましたが、雨が強く降って来た為、楽器と共に雨の中、テントも移動されました。
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金刀比羅宮さんは、とにかく階段です。どこへ向かうにも、階段。階段上に見えているのが「大門」。300段ほどです。ご年配のお方や足がご不自由なお方は、大門までは「しあわせ号」と云う乗り合いバスをご利用されると良いかもしれません。また、500段ほどのところには、資生堂パーラー「神椿」があり、タクシーで向かう事も出来ます。ただ…そこからの階段がかなり急になります。
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「予行」を終えられた呉音楽隊の皆様、雨の中を戻られました。追悼式当日は、更に雨が強く降りましたが、雨にけむる象頭山に流れる追悼の楽曲は、優しく穏やかに天上へと昇ってゆきました。
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雨の「第60回掃海殉職者追悼式」から僅か3日。再び、呉音楽隊の皆様とお会いできるとは思ってもいませんでした。呉美術館へ行こうとしたのですが、実際には、やはり休館でしたので、呉音楽隊の皆様にお会いする為であったのかもしれません。美しい呉美術館は、お隣。美術館はお休みでしたが、呉音楽隊の皆様のいらっしゃる建物も、美術館の如くです。
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コンサートも行えるホヲルです。リハーサルを公開される事もあるそうです。明治28年(もしくは38年)と資料にありましたが、昭和4年に建設されたようですね…「桜松館」の名の通り、見事な松並木の坂道の半ばにあります。歴史を感じさせる美しい建物です。2001年3月24日に発生した芸予地震の際にも、被害はなかったそうです。震源は安芸灘。マグニチュード6.7。最大震度は、広島県東広島市(現在)、豊田郡、安芸郡で震度6弱。前日に見学させて戴いた海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校、大講堂も芸予地震の際の被害はなかったそうです。如何にしっかりと造られた建物であるかが判ります。
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ステージの上には、桜と松、砲塔と錨の紋章が掲げられています。
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すみません…皆様のお名前を覚えきれず…申し訳ございません…。左のお方は、昨年まで横須賀音楽隊にいらしたそうです。2009年にみなとみらいホールでの演奏をお聴きしております。皆様、突如、現れたアヤシい見学者(3日前は、もっとアヤシかったですね…)に大変ご親切にして下さいました。
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珈琲とピンバッチとステッカーまで戴いてしまいました…。本当に有り難うございました。雷雨の金刀比羅宮さん、皆様が近くにいらした事で安心して見学を続けられました。最も近くにいらしたのは、野口さんと福場さん(間違えでしたら本当にすみません!お名前の「公一」さんは、写真にて確認出来ました)。ここで、野口さんの息子さんが掃海艇「とよしま」さんにご所属である事が判りました。「とよしま」さんは、昨年11月の油津港にて、最も近い距離での記録が出来た掃海艇さんです。息子さんが記録の写真にいらっしゃると良いのですが…。「とよしま」さんは、今も被災地で活動されているそうです。
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「親子二代」海上自衛隊さんなのですね。しかも、息子さんは掃海隊にご所属。改めて、一般民間人ながら、「第60回掃海殉職者追悼式」の見学に向かった意味・意義を思いました。また、その後、呉へと向かわなければ、判らなかった事でもありました。導かれているとも思いました。
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呉音楽隊の皆様がいらっしゃる「桜松館」外観。美しい松並木は「美術館通り」と呼ばれているようですね。本当に予期せぬ再会でありました。呉音楽隊の皆様、本当に有り難うございました。

今回は、時間切れとなりました。横浜・横須賀へと戻るよう時間が流れ始めました。被災地と直結する呉の港から、横須賀の港へ。東日本大震災の災害派遣は、今も続いています。高松・呉からも、防衛省さん、海上自衛隊さん、自衛艦隊さんsiteを確認しています。旅先ですので、MacBook内の画像が限られており、東日本大震災の投稿が構成しきれません。戻り次第、東日本大震災の投稿を再開したいと思っています。「第60回掃海殉職者追悼式」、高松港にての一般公開の投稿も速報のままです。
by guardianvein | 2011-05-31 23:27 | 海上自衛隊へ行こう
昨日の呉と江田島は台風一過の快晴でした。少し風が強かったように思いますが、横須賀の強風の日ほどではありません。美しい晴天でありました。香川県と広島県が近い距離にある事に、ようやく気付いた、いまだ新米見学者。呉と江田島の見学は初めてですので、本当の「新米見学者」です。単なる見学ではありません。青森県大湊の北洋館に向かった時と同じく、「探しに」。
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大変美しい景観です。クレイトンベイホテルさんより海上自衛隊呉地方総監部さん方面。護衛艦「さみだれ」さん、掃海母艦「ぶんご」さんのお姿が見えました。この後、ついに輸送艦「ゆら」さんにお目にかかれる事になります(と云っても、遠方ですが)。
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江田島行きのフェリー「古鷹」号さん。日常と共にある大切な船。広島県(広島駅)に着いた頃、「被災地から遠くなった…」と感じたのですが、呉は遠くありません。この港も横須賀と同じく、被災地と直結しています。広島県江田島市より宮城県気仙沼市へ無償でフェリー「ドリームのうみ」号さんが貸与されたのです。

東日本大震災の被害を受けた宮城県気仙沼市からの要請を受け,江田島市所有のフェリー「ドリームのうみ」を無償で貸し出しました。
 ドリームのうみは,気仙沼市の沖合い7.5kmにある大島と気仙沼市を結ぶ定期航路便となり,離島復興のための手助けをします。また,支援物資の輸送するための船としても活躍する予定です。
(江田島市役所さんsiteより)

4月29日に就航開始されたようです。現在も活躍している動画がYoutubeで観られます。
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江田島の名峰「古鷹」の名のフェリー、出港してすぐでした。目の前を油船YO37号さんのお姿が見えました。『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船しているような感覚になりました。長浦港を思い出しました。沖合には護衛艦「いせ」さんがいらしたのですが、夕方にはいらっしゃらず、出港されたようです。フェリーは12時20分発。ホテルのフロントに確認したのですが、平日13時からの見学には、この便が最適、との事でした。でも…少し、ぎりぎりな感じがします。駆け込みに近いです。あと、写真を撮られる方々は、高速船ではなく、フェリーの方が良いです。高速船は窓越しになってしまいますし、速い。フェリーは通常はどうであるか判らないのですが、この日は3Fデッキに上がらせて戴けましたので、写真を撮るにはフェリーに乗船された方が良いです。
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海上自衛隊第1術科学校の見学は、平日3回、週末祝日は4回。ご案内して下さったのは、尾崎さん。名峰「古鷹山」を望み。この日、2回続けて見学しました。尾崎さんは勿論、海上自衛隊さんOBのお方です。2回めの見学の際、教育参考館にて詳細に教えて下さり、誠にありがとうございました。
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この日は、航空自衛隊さん、陸上自衛隊さんの生徒さんがたが大勢見学に来られていました。これからの日本の護りを担う頼もしき若者たち。
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大変美しい重厚な石造りの大講堂。外は強い日射しが照りつけ夏のように暑かったのですが、大講堂内はひんやりしていました。気品のある大変美しい歴史的建造物です。
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イギリス積みの美しい煉瓦。海上自衛隊幹部候補生学校。周囲は極めて静か。日頃、ごみごみとした街に暮らす人間にとって、別世界です。整然と美しく、静謐。
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芝生と黒松の先には「正門」の海。通常の見学では、海まではゆけません。遠くにカッター。
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日射しが強かった事もあり、青空と共に撮れず…。第一術科学校。白亜の校舎が台風一過の日射しに眩しかったです。この時、勿論、あたりはとても静かであったのですが、早くも蝉が啼き始めていました。
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見学の終わりは、教育参考館。陸上自衛隊さん・航空自衛隊さんの生徒さんがたとご一緒となりました。2回続けて見学した訳は、教育参考館です。ここに、ずっと探し続けている事柄、自分の一族にとって、とても重要な事柄があるのでは…。北洋館に存在していました。そして、教育参考館にも。館内は撮影禁止です。また、近くでの確認が出来ませんでしたが…。ずっと探し続けているのは、国旗です。羽二重(絹)の国旗。祖父の手で染められた国旗。母から教えられた「特別攻撃隊の人たちが身体に巻いて出撃した国旗」。教育参考館に大切に収蔵されていた国旗が、最も近いと思われました。宮崎県都城市の歴史資料館にも収蔵されています。いずれ、知覧にも行かねばなりません。教育参考館には、特別攻撃隊の方々のお名前がありました。父方と同じ姓(つまり自分と同じ姓)の方々が6名いらっしゃいました。どのような巡り合わせであるのか判りませんが、最も多い筈です。

時間いっぱい、教育参考館内におりました。再び、江田島を訪れたいのですが、母親から戻るように連絡がありましたので、次回の機会が巡るまで。今回は時間切れです。
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江田島より戻り呉の港。呉港務隊さんがたが間近に。まだ、鉄のくじら館にも行っていません(本日は休館)。時間が足りないですね…。まだ、掃海艇さん、掃海管制艇さんがたのお姿を目にしていません。掃海母艦「ぶんご」さんは、被災地より戻られています。今も被災地では捜索活動が続けられています。東日本大震災災害派遣は続いています。台風2号の影響が心配されます。
by guardianvein | 2011-05-31 08:43 | 海上自衛隊へ行こう
今年の高松港にての掃海艇さんがたの一般公開は、大雨となってしまいましたが、かなりの雨であったにも関わらず、見学の方々がいらっしゃいました。残念ながら、体験航海は中止。一般公開も午前で終了となり、皆様、正午には出港されました。その後、自分も移動しましたので、少し投稿が遅れましたが…「速報」にて。
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台風2号接近中の香川県高松市。幸いにも風が弱く、雨は真っすぐ降っていました。間もなく出港される第42掃海隊・掃海艇「くめじま」さん。今回は傘をさして記録しましたが、湿度が高く、カメラが云う事をきかなくなりました。この時、露出が補正できず。
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昨年11月22日の油津港、第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さん入港時に匹敵する強雨でありました。神戸に戻られる「くめじま」さん。記念の写真を戴いたり、食堂内に長居させて戴きました。初めて「くめじま」さんにお目にかかったのは、2009年5月であったと思います。横須賀消磁所にて。横須賀消磁所に来られるのは、4年に1度だそうで、貴重な機会であった事が判りました。東日本大震災の災害派遣中には、幾度か横須賀に戻られていました。今回、自分の高松滞在が短かった事もあり、あっと云う間に過ぎてしまった感があります。
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雨に煙る高松港をあとにされる「くめじま」さん。香川県地方協力本部の皆様がお見送りされます。
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出港準備中の第1掃海隊・掃海艇「みやじま」さん、「あいしま」さんの皆様。ざーざー降りなのですが、皆様、「普通」です。今回、「みやじま」さんは一般公開はなさっていませんでしたので、殆どお話を伺う事が出来ず大変残念でありました。
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とにかく、今回は台風2号と早くも梅雨入りしてしまった事が大きく影響しました。写真も少なく、時間もあっと云う間に過ぎてしまいました。昨年11月の油津港での「感覚」が残っており、あまりに短く感じられました。
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「みやじま」さん出港です。本当にあっと云う間でした。昨年の高松は十分に時間があったように記憶しています。全ては台風2号と例年よりも早い梅雨入りが「時間を早めて(縮めて)」しまいました。香川県の皆様も年に一度の入港をとても楽しみにされていた筈なのですが…。晴天であれば、昨年のように大変大勢の方々が見学に来られた事でしょう。特に、今年は東日本大震災災害派遣直後ですので、より多くの方々が見学に来られた筈なのです。
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視界は湿度と強雨に霞み、屋島が見えませんでした。「みやじま」さん、静かに出港です。音もなく。滑るように。台風2号が接近しているにも関わらず、高松港は穏やかでした。実際には掃海艇さんがた内に居ると、結構揺れていました。
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昨年11月の鹿児島県志布志港を彷彿とさせました。志布志港出港時、「さんふらわぁ」号さんと共に第1掃海隊の皆様が出港されたのです。呉へ戻られる「みやじま」さんと行き交うフェリーさんがた。フェリーは欠航ではありませんでした。雨の中、お見送りは三宅さん(ごめんなさい。何故か、ずっと安斎さんだと思い込んでいました)と「Ogawa」さん。「Ogawa」さんは、『YOKOSUKA軍港めぐり』でよくお会いしますので、不思議な感じがしました。一瞬、「ここは横須賀?神奈川県?」。
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いよいよ第1掃海隊・掃海艇「あいしま」さんも出港です。雨は更に強くなり始めていました。気温も低く、5月末とは思えませんでした。今回、福本掃海隊群司令が「あいしま」さんにいらした事もあり、「あいしま」さん内は、常に大勢の方々が行き交っていました。
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やはり、「あいしま」さん出港時も、昨冬の志布志港を彷彿と云うより「再来」となりました。「さんふらわぁ」号さんではありませんが、フェリーさんと「あいしま」さん。これにて、全ての皆様が出港されました。本当にあっと云う間でした。
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長居させて戴いた、「くめじま」さん食堂内。昨夏四日市港での掃海艦「つしま」さん内を思い出しました。背後のテレビでは、『海上自衛隊5つのミッション』を観る事が出来ました。一般公開が午后も行われれば、ずっと「くめじま」さん内に居たかもしれません。目の前には、遂に手に取る事が出来た「缶飯」と「副食缶詰」です。防衛省さん発表の東日本大震災のご活動をもとに投稿し続ける際、幾度も幾度も入力した「缶飯」と「副食缶詰」。「実物」です。莫大な量の「缶飯」と「副食缶詰」が被災者の方々のもとへ届けられました。

「届けられました」と過去形となっていますが、現在も東日本大震災の災害派遣活動は続いています。行方不明の方々の捜索は今も続けられています。台風2号で海は大荒れ。被災地では新たな被害も起きています。海上自衛隊さんの艦艇さんがたは台風で大荒れの洋上に展開されている事でしょう。この時期に台風とは…。今、自分は被災地から距離がある西日本にいます。台風2号も自分が体験した限りでは、強風でもなく、雨も梅雨後期のように雨量が多いと云う印象でした。台風を実感したとは云えませんでしたが、ニュースの映像で観る被災地は、まさに台風でした。被災地と距離が開くと云う事の方を実感しました。被災地から遠い。当初、今週いっぱい呉に滞在する予定を変更し、明日、横浜・横須賀に戻る事としました(闘病中の叔父が逢いたいとの事で、早く帰るようにと母親から連絡があった為もあり)。
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雨でも子どもたちは「全然平気」。「見学する見学するー!」と元気いっぱいでした。また、「海上自衛隊に入りたい」と云う息子さんと共に来られたお父様も。かなりの雨天でしたが、一般公開の大切さを今回も実感しました。特に東日本大震災後、私たちが足を運び、被災地を思い、災害派遣に向かわれた皆様と間近に接する機会が多くあるように。それにしても、気温も低く、雨どしゃ降りでしたが、掃海艇さんがたはあたたかく、時間が短かった事が本当に惜しまれました。皆様、有難うございました。

今夜(もう朝ですね)は、駆け足の「速報」であります。ようやく辿り着いた広島県呉市。とても静かなところに滞在しています。海が見えないのが残念ですが。
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ことことと呉線の各駅停車で向かいました。高松港でずぶ濡れとなり、着替える間もなく移動を始めましたので、身体が冷えきっており、大事をとって、すぐに休みました。本日はお天気が回復しそうですので、午后より行動したいと思っています。まだ、少々疲れが残っておりますので、しばし休みます。
by guardianvein | 2011-05-30 05:25 | ┣掃海部隊
台風2号が刻々と近づいて来ていますが、只今の高松は雨も本降りではないように思います。風も普通です。明日が気がかりですが…。今夜も速報にて。27日土曜日は、金刀比羅宮さんにて「第60回掃海殉職者追悼式」が行われ、高松港では掃海艇さんがたの一般公開が行われていました。
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午前は、雨もそれほど強くは降っておりませんでしたが、「第60回掃海殉職者追悼式」は、顕彰碑前ではなく、少し上のこちらで行われました。記録の写真は、こちらが精一杯でした。多くの参拝者の方々が足を止め、厳粛に執り行われる追悼式を雨の中、じっとご覧になられていました。
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「第60回掃海殉職者追悼式」は正午に終了しましたので、その後、琴電にて高松港へ戻りました。次第に雨も強くなり、高松港は白く霞んでいました。台風が近づいていますが、高松港は穏やかでした。昨日、一般公開されていたのは、海上自衛隊掃海隊群第1掃海隊・掃海艇「あいしま」さん、海上自衛隊呉地方隊阪神基地隊第42掃海隊・掃海艇「くめじま」さんでした。「みやじま」さんは、グリーンのネットは準備されていましたが、一般公開はなさっていませんでした。
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掃海艇「あいしま」さん内には、東日本大震災災害派遣の記録が多数展示されていました。東日本大震災以降、初めての掃海艦艇さんの見学です。宮城県石巻湾に多数漂う材木(流木ではなく、貯木場?から流失した材木だそうです)を「人の力」で、EOD員さんがたが集められている際の写真だそうです。出荷を待つばかりの裁断された材木ですが、それだけに大きく「木切れ」ではありません。ここで、お話を聞かせて戴いた乗員のお方が仰っていました。「写真で観ると、それほどでもないと思えるかもしれませんが、実際には…」。写真は被災地の様子やご活動を伝える大切な情報ですが、画角内に限られています。見渡す限り、どこまでも続く、あまりに「非現実的」な光景。観る者が被災地の様子を出来る限り想像したとしても、その痛々しさ、荒涼とした「日常の残骸」を真に理解する事は出来ません。自分が体験しなければ。その災害派遣のご活動を続けられた皆様のお話を伺う大変貴重な機会であったのですが、高松港に到着したのは、午后2時頃。気持ちが焦りました。また、この時、本降りとなっていた雨にも関わらず、多くの見学の方々がいらしていました。
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立ち止まり、じっくりお話を伺う事が難しかったです。
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雨は次第に強くなり始めていましたが、見学の方々は続いていました。雨の中、じっと立ち続ける「あいしま」さんの皆様。
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ここで、いまだ新米見学者は大きな失敗をしました。「勘違い」です。日曜日も一般公開があると思ってしまっていたのです。昨年、2日間続けて見学をしたと思い込んでいました。すぐ近くにEOD員さんがいらしたのに、大切な質問出来ず。個人的な事情ですが、本日(土曜日)は諸々あり、高松港での見学は落ち着かぬままに過ぎてしまったのです。云い訳になりますが、個人的事情により集中出来なかったのです。大きな失敗です。が、その後、今一度、確認しました。日曜日も一般公開ありますね。良かったです。明日、「リカバリー」です。
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掃海艇「くめじま」さん食堂内にも東日本大震災のご活動の記録が多くありました。全てに時間をかけたかったのですが、なかなかそうは出来なかったのです。個人的事情により、です。1日かけないと…。
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子どもたちは、よく観ていた事が判る絵です。掃海艇さんも大変良く描けていますし、なにより、「箱の山」を引っ張っています。本当によく観ていた事が判ります。大きな太陽の下、蒼い海に手を降りながら、「箱の山」を引っ張っている掃海艇さんの皆様。子どもは正直です。本当に良く観ていますし、「希望」や「嬉しい」と云う気持ちが良く伝わって来る、明るい絵です。
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「くめじま」さん食堂内に置かれていた救援物資の缶詰。ずっしり重かったです。「主食缶詰は今、ありません」との事でしたが、いつなんどき、私たちも、このずっしりと重い缶詰を戴く日が来るやもしれません。

あまりに知りたい・お訊きしたい事があり過ぎ、質問をまとめられず、大失敗のまま、戻ってしまった自分。ですが、良かったです。日曜日も一般公開されますね。土曜日に見学記録し、写真を確認して質問をまとめ、日曜日に再度落ち着いて。
by guardianvein | 2011-05-29 00:49 | ┣掃海部隊
只今、1年ぶりに香川県高松市におります。雨は小降りとなりましたが、すっかり梅雨の気候となっております。今夜は、時間的に難しいです。先に投稿した『日報』版を再編し、こちら『gvein(別館)』に投稿致します。
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1年ぶりの金刀比羅宮さん。その境内に、掃海殉職者顕彰碑があります。入口には、大きな錨。掃海母艦「はやせ」さんの主錨が奉納されています。1年ぶりに改めて『掃海母艦「はやせ」主錨の由来』を読ませて戴き…冒頭部分を転載させて戴きます。

掃海母艦「はやせ」主錨の由来
 掃海母艦「はやせ」は昭和四十六年十一月六日、東京・石川島播磨重工で竣工、第一掃海隊群に所属し呉を母港として掃海部隊の旗艦となる。
 爾来海上自衛隊演習、機雷戦訓練、掃海特別訓練への参加は元より、爆発性危険物の処分、北海道南西沖地震や阪神淡路大震災の災害派遣など多様な任務に即応し輝かしい成果を挙げて来た。


東日本大震災が起きた後、改めて、この碑文の重みを痛感致しました。東日本大震災が起きていなければ、今年も掃海母艦「ぶんご」さんが高松港に来られていた筈です。北海道南西沖地震、阪神淡路大震災。そして、東日本大震災。無理をおして、今年も香川県を訪れたのは…いえ、訪れなくてはならなかったのです。一民間人として。
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掃海艇さんがたの美しい電灯艦飾。海上自衛隊掃海隊群第1掃海隊・掃海艇「あいしま」さん、「みやじま」さん、海上自衛隊呉地方隊阪神基地隊第42掃海隊・掃海艇「くめじま」さん。皆様、東日本大震災の災害派遣に向かわれていました。今夜は、香川県高松市の高松港にいらっしゃいます。「第60回掃海殉職者追悼式」にいらしているのです。
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掃海艇「くめじま」さん後方より。掃海艦艇さんがたは、後方に「「凝縮」されています。
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高松港は大変美しい港なのですが、撮影は難しいです。夜間も各島を結ぶ「大切な航路=フェリー」が頻繁に行き交うので、大波ではありませんが、常に海面が動いています。ですが、さまざまなフェリーを観ていると、島に暮らす人々の「日常」が見えて参ります。「日常」。「大切な日常」。人々の暮らし。
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「第60回掃海殉職者追悼式」は、香川県の琴平に聳える象頭山の金刀比羅宮さん境内にて行われます。「予行(皆様は「たてつけ」と云われます)」が行われる頃には、雨は本降り。呉音楽隊の皆様、大切な楽器を抱えて、テントからテントへ移動。昨年は快晴であったのですが、今年は早くも四国は梅雨入りしてしまっています。
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掃海部隊の皆様も、雨の中、金刀比羅さんの石段を幾度も昇り降りされていました。このあたりは約300段。皆様、もっと上の方まで昇られています。
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雨宿り中の呉音楽隊の金管楽器の皆様。お帽子には「KURE-BAND」。空は明るいのですが、この頃、雨は本降り。雷も鳴り、ざーざー降りでした。私は雷が本当に怖いのですが、皆様がいらしたので、怯えて逃げる事はありませんでした。雨の中、追悼の演奏を耳にした参拝者の方々が集まって来られました。
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本降りの雨に霞む視界。高松港に掃海艇「みやじま」さん、「あいしま」さん、「くめじま」さんが入港される際には間に合いませんでしたが、今年も、いまだ新米見学者は、この金刀比羅宮さんに参りました。

明日のお天気が気がかりです。どうか、雨が降らぬよう祈るばかりです。今年も、金刀比羅宮さんの本宮まで昇りました。768段。願いを込めて。明日も「登山」です。
by guardianvein | 2011-05-27 23:50 | ┣掃海部隊
時間との勝負になって参りました。日々、準備を重ねていた筈なのですが、やはり「追い込み」になっています。5月25日、ぎりぎり『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船しました。瀧元あずさ嬢の案内で巡るのも、あと数回です。昨日も港各所に気を配り、災害派遣について、吾妻島前にて訓練なさっていた掃海隊群司令部水中処分班の皆様の案内も出来る100点満点の45分でした。
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13時便、長浦港から横須賀本港へ向かう数分前、掃海隊群司令部水中処分班の皆様は、「いつものように」吾妻島前へ向かわれるのではなく、掃海艇「まえじま」さんの方へ向かわれました。この時、「まえじまさんは出港される…」と判りました。お見送りに向かわれたのでしょう。
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舞鶴より被災地へ向かわれていた「まえじま」さん。東日本大震災後、長浦港で「まえじま」さんにお目にかかるのは、初めてであると思います。その間に、横須賀に来られていたかもしれませんが。「まえじま」さんにお目にかかるのは、昨年11月の油津港以来であると思います。
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雨上がりの美しい夕暮れ油津港の「まえじま」さん。東日本大震災が発生し、昨年11月の記録投稿が止まってしまいました。
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「まえじま」さん、数日間、長浦港にいらしたそうです(瀧元あずさ嬢が教えてくれました)。出港時間が近付いている事が判りました。
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出港直前に『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船する事が出来て良かったです。皆様がいつ入港され、出港されるかは判りません。
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笑顔に安堵致しました。掃海艇「つのしま」さんが横須賀に戻られるのも、久しぶりです。しかし…丁度、重なってしまう位置です。
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「災害派遣 海上自衛隊 掃海艇つのしま」の幕が掲げられていました。難しい位置です。
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難しい…。
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少し判りづらいかもしれませんが、「まえじま」さんにも「海上自衛隊 災害派遣部隊」の幕が見えました。現在、横須賀の港各所にて「災害派遣」の幕を目にします。この幕を目にする事によって、改めて「災害派遣」を私たちは痛感するのです。大切な事です。「忘れないこと」。「自分の目で知ること」。この日初めて『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船されたお客さまにも伝わります。
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掃海艦さんがたがどなたもいらっしゃらないNP-1桟橋にも、「災害派遣 海上自衛隊横須賀地方隊」の車輛。
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ぎりぎり市営桟橋が被る頃、掃海隊群司令部水中処分班の皆様が吾妻島前へ向かわれました。
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その前、訓練に出てゆかれる際の記録。災害派遣と同時進行で吾妻島前での訓練が「再開」です。東日本大震災が起きていなければ、4月5月は、最も多く訓練に出て来られる時期であった筈です。全てのEOD員の皆様が被災地に向かわれてしまっては、今も日本の海で年に多数発見される機雷や不発弾の処理などができなくなってしまいます。
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見学記録している際には、見えていなかったのですが、実は機雷が存在していたのです。帰宅後に判りました。土嚢と機雷。東日本大震災と訓練。4月1日よりの大規模集中捜索の際、最も多く映像に出て来られていたのは、掃海隊群司令部水中処分班の皆様でした。間もなく6月1日です。2ヶ月。横須賀水中処分隊の皆様に続き、掃海隊群司令部水中処分班の皆様も横須賀の海に戻って来られました。この機雷…見覚えがありますよ…手を触れた事もある、「あの機雷」の筈です。大きいのです。いつもは見えないところに、ひっそりと置かれている機雷。何故、ここに移動していたのでしょう。答は6月に入ると判るかもしれません。
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そして、吾妻島前。2ヶ月ぶりの「EODレンズ=reflex500」での記録です。13時便で、吾妻島前に多数「目印」が点在している事は判っていました。どなたかが訓練される為に設置されている筈…と。単焦点のレンズですので、視界が狭く、処分艇さん地点を凝視していたのですが…
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「!!」。間近に気配を感じ、驚きました。reflexでは近過ぎたのです。間近です。この時、『YOKOSUKA軍港めぐり』は10分遅れていました。ご予約のお客さまがたをお待ちして出港した為、いつもより10分遅かったのです。そして、2Fデッキには、埼玉よりお越しの団体のお客さまがたが多くおられました。そのうち、吾妻島側を見ていたおじさまが「忍者だ!忍者がいる!」と仰られました。案内の瀧元あずさ嬢からは見えない位置です。すぐお隣にいらしたので、「海上自衛隊さんの爆発物処理班の皆様です。東日本大震災で行方不明の方々を捜索されていた皆様です」とお伝えすると、「そうか!海上自衛隊なのか!」。一時、2Fデッキがざわめきました。
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間近を泳いでゆかれる漆黒の「忍者」に、団体のおじさまがたは「おおお」と云う感じでした。その後、「つのしま」さん前を通過する際、「あの黒いゴムボートで、先ほどの”忍者”の皆様が行方不明の方々を捜索されるのです」とお伝えすると、「おお!あの3隻のがそうだな!」と、身を乗り出すようにして見学なさっていました。被災地と繋がる瞬間です。これが『YOKOSUKA軍港めぐり』。
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案内人の瀧元あずさ嬢、岩澤博文さん、細井暁史さんはEOD員の皆様の案内をしっかり出来るのですが(岩澤さんは、「水中処分班の人」と判るようになっています)、時に見えない位置である場合もあります。ですが、昨日、あずさ嬢は訓練されているのは、水中処分員の方々で東日本大震災の行方不明の方々の捜索をされていた事を案内しました。
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昨日、吾妻島前にて訓練なさっていたのは、掃海隊群司令部水中処分班の皆様でした。吾妻島前での訓練は、6月半ばを過ぎると8月下旬まで、殆どの皆様が「出港」されてしまっていたのですが、今年は判りません。東日本大震災後、判らなくなりました。
by guardianvein | 2011-05-26 01:29 | ┣掃海部隊
引き続き、諸準備をしておりますが、現在、『日報』、当ブログ『gvein(別館)』共にアクセスが多く、特に、『gvein(別館)』が多くなっています。その為、今夜は、こちらを投稿。『日報』は、ぎりぎりに投稿出来るよう準備しています。東日本大震災発災より、毎日、防衛省さん発表を確認していますが、5月23日現在、被災地での活動をなさっている艦艇さんがたは、32隻。海災部隊は約8,400名の方々との事ですが、なかなか掃海部隊の皆様の情報が判りません。本日、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況」に新たに写真が8cut。前週には、4cut。EOD員の皆様の捜索活動が報じられました。
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東日本大震災発災約1ヶ月前の吾妻島前。快晴の横須賀でしたが、海は荒れていました。写真がまともに撮れない状態でした。揺れと強風で。この日、訓練なさっていたのは、潜水医学実験隊の皆様、第41掃海隊・掃海艇「のとじま」さんEOD員の皆様、掃海艇「つのしま」さんEOD員の皆様でした。荒れた海をひたすら泳ぎ続けられているのは、「のとじま」さんEOD員の皆様。海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」5月10〜17日の捜索状況より転載させて戴きます。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

4cutの捜索状況の中に「のとじま」さんEOD員・姉崎さんのお姿がありました。各地にご所属のEOD員の皆様のお顔ぶれが全て判っていれば…と、東日本大震災以降、痛切に感じています。何故、ご所属とお顔ぶれにこだわっているかと云うと、懸命の捜索活動を続けられている方々が、より私たち国民に身近に感じられる筈なのです。例えが「普通(日常的)」になりますが、サッカーや野球等の「ホームチーム」のように。地元に拠点を置くチームを熱く応援するように。「CHEER FOR MOVE」です。各地より被災地へ向かわれている全てのEOD員の皆様のご所属=艦艇さんがたが判る事で、より身近に感じられると思うのです。これまでの記録(写真・映像)を見ていると、ご所属を超えて「結集」されているようにも思えますが。「海上自衛隊爆発物処理班=EOD員結集」と云う印象です。この日の記録にいらっしゃる皆様が拠点にされているのは、掃海母艦「ぶんご」さんでしょうか。
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こちらは、掃海母艦「うらが」さんですが、EOD員の皆様が集まられているのは、こちらの艦尾門扉ですね。海側から見ると、このようになっています。この日は、「搭載艇」も見えていますし、掃海隊群司令部EOD班の皆様もいらっしゃいますね(かなり前の写真ですが。2009年4月)
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こちらも掃海母艦「うらが」さん。今年の2月。東日本大震災発災約1ヶ月前です。この日も「搭載艇」が見えていますね。
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掃海母艦「ぶんご」さんは、東日本大震災以降、この約2ヶ月、横須賀に「戻られた」際を目にしたのは、1度きりです。『YOKOSUKA軍港めぐり』に乗船していない間に戻られているかもしれませんが…。
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昨年5月の高松港での掃海母艦「ぶんご」さんとEOD員の皆様。体験航海・一般公開が行われておりましたので、海面警備をなさっている際の記録です。快晴の美しい高松港。今年は、「ぶんご」さんはいらっしゃられないようですね…。

そして、本日(5月23日)、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」に新たに8cut。「5月18〜23日捜索状況」。やや不鮮明の画像もありますが、即座に判りました。全ての方々ではありませんが、掃海隊群第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さんの皆様です。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」より

EOD員の方々のウェットスーツには、それぞれ「特徴」があります(とても細かい部分ですが)。特に横須賀にご所属の方々は、殆どの場合、すぐに判ります。「搭載艇」にも、それぞれ「特徴」があります。先々週に横須賀に戻られていた「やえやま」さんの皆様。再び、被災地へ向かわれたようです。明確に判るのは、「やえやま」さんEOD員の鮏川さん・西村さん・江川さん。そして、オレンジ色の胴衣のお方には「やえやま」と書かれているのが判ります。「やえやま」さんの皆様は、昨冬志布志港での一般公開もありましたし、東日本大震災5日前から前日、いえ当日まで、お目にかかっていますので、すぐに判ります。捜索されているのは、宮城県石巻市雄勝湾のようですね。海上自衛隊さんtwitterで確認しました。ここのところ、捜索活動の映像や報道がなく、既に「完了」しているように思えている国民も多いのでは…。今もなお、捜索活動が続けられ、今もなお、被災地の海岸線は、このような状況である事を私たちは知っておかねばなりません。「今もなお」です。

一介のフリーのカメラマンが、EOD員の皆様の捜索活動の記録を撮る事は叶わず、では、自分に出来る事は…と日々考え続けています。出来る事とは?「忘れないこと」。「知ろうとすること」。これまでの記録を繋ぎ合わせ、「忘れないこと」。
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「やえやま」さんと云えば、雨です。本日、海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」にて報じられた捜索活動の日も雨が降っているように見えます。いつも思い出すのは、豪雨の中、日向灘にての訓練を終えられ、油津港に戻られた際の事です。むちゃくちゃな雨でした。辺りは降りしきる雨で真っ白でした。
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「搭載艇やえやま号」。皆様が横須賀の吾妻島前に戻られる日は、いつであるのでしょう。
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通年、この季節は、晴天の吾妻島前に多くのEOD員・飽和潜水員さんがたが「集結」されているのですが。横須賀にご所属のEOD員さんがた全員出て来られる日もあるのですが。
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今年は5月晴天の吾妻島前の記録は1cutもありません。3月11日以降、多くのEOD員の方々が被災地へ向かわれています。2ヶ月以上が経過しようとも、今も続けられる捜索活動。5月22日現在、行方不明の方々は、8,803人。
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本日、宮城県気仙沼港にて、大津波によって陸に打ち上げられていた大型のまぐろ延縄漁船を海へ戻す大掛かりな作業が行われていましたが、深田サルベージ建設株式会社さんの「富士」号さんが向かわれましたね。4月29日、長浦港は雲一つない快晴でした。やはり、横須賀は被災地と直結しています。「今も」。
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海上自衛隊さんsite「東日本大震災 災害派遣活動状況写真集」の5月18〜23日の捜索状況の記録を見るごとに、横須賀に置かれていた山積みのブイを思い出しました。多用途支援艦「あまくさ」さんの近くに置かれていました。横須賀本港・長浦港で、これほど多くのブイを見た事はありません。被災地の海を漂流していたブイに見えてなりません。
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こちらは昨夏。大湊駅前の漁港に山積みになっていたブイから大湊地方総監部さん方面。ですが、ここは漁港。「日常」の風景です。東日本大震災では、陸奥湾・大湊湾に津波の被害はなかったのでしょうか。付近の高い建物と云えば、駅前のフォルクローロ大湊さん、あとは…大湊中学校(少し高台にありますので、大丈夫ですね)、大湊地方総監部さん。大湊の町は、海岸線から近いところに高台・山がありますので、もし、津波が到達していたとしても、避難は困難ではないように思えます。田名部方面は、少し山まで距離があったように思いますが。
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山積みのブイの前には、美しい陸奥湾。洋上には護衛艦「ひえい」さん、そして、訓練に向かわれる掃海艇「いずしま」さん。東北地方の風景は、本当に美しく穏やかです。昨夏2度訪れた東北地方を襲った東日本大震災。福島県には母親の知り合いも多く、横浜に避難して来られているご家族もおられます。母方の先祖は東北地方に暮らしていた筈です(江戸時代までの過去帳を遡り。詳細には判りませんが)。東日本大震災災害派遣は今も続き、避難生活を続けられている方々も10万人を超えています。
by guardianvein | 2011-05-23 23:49 | 東日本大震災 災害派遣
現在、諸準備あり、投稿の時間がなかなかとれません。『日報』『ver.YB』も毎日の投稿が難しいのですが…。準備の過程において、作成できた画像にて今夜は投稿致します。現在、昨冬まで時間を遡っています。
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昨年12月はじめ。鹿児島県志布志港を出港される海上自衛隊掃海隊群第1掃海隊の皆様、お見送りの第51掃海隊・掃海艦「やえやま」さんの皆様。1ヶ月間に渡る掃海部隊の皆様の記録。まだ油津港入港の日を投稿していた際、東日本大震災が発生。全てのブログの投稿予定が覆りました。それから2ヶ月以上が経過しましたが、現在も東日本大震災災害派遣の投稿が中心となっています。少しずつ「現在進行形」の投稿が入るようになると思います。東日本大震災は、3月9日…いえ、今年はじめから改めて投稿してゆきたいとも思っています。
by guardianvein | 2011-05-22 23:46 | ┣掃海部隊
本日の記録は、これまでと異なる角度からの写真が多くありました。東日本大震災以降、価値観や物事の見方が大きく変わってしまったのですが、本日は顕著でした。先に『日報』へ「速報1」を投稿しましたが、再構成してこちらに投稿します。
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「だいちのはな」の彼方に処分艇さんが見えました。東日本大震災以降、reflexを使用していませんので、遥か彼方でした。どちらから出て来られたのか確認出来ませんでしたが、直後に見えたのは…
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本日、船越岸壁に戻られた護衛艦「さわゆき」さんマストのA旗。「さわゆき」さん付近で潜水作業なさっていたのでしょうか。では、戻られたのは横須賀水中処分隊の皆様?
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数分の間を置き、東京湾方面へ向かわれたのは掃海隊群司令部水中処分班の皆様。reflexではありませんので、やはり遥か彼方。
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掃海艦さんがた地点は、とても静かでした。
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機雷桟橋前には、交通船YF2146号さんの皆様と横須賀水中処分隊の皆様。長浦港より戻られたのは、やはり横須賀水中処分隊の皆様ですね。
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少し斜めにして、ぎりぎり機雷まで。機雷桟橋前は、掃海艦さんがた前よりも、更に近い地点です。この地点は、「横須賀警備隊さんエリア」です。ふと…東日本大震災前に戻ったかのように思えた午后でした。
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そして、吾妻島前へ。これまでの記録で、この角度は殆どなかったように思えます。実際にはあるのですが、東日本大震災以降、さまざまな事柄が「違う」ように思えるのです。2009年1月に気付いた機雷に見えた小さな遺跡。「こんな位置に?」。
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横須賀市リサイクルプラザ「アイクル」と小さな遺跡と処分艇さん。やはり、ここでも、「こんな位置に?」でした。何もかもが違って見えるように思えました。
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被災地の海岸線と重なる吾妻島。reflexを使用していない事もあり、2009年5月以前に戻ったかのようにも思えました。当時、掃海隊群司令部水中処分班の皆様の記録が多かった事もあるかもしれません。
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遥か彼方へ。吾妻島前に水中処分員さんがたが戻られた際を、初めて目にしました。東日本大震災以降、『YOKOSUKA軍港めぐり』乗船回数が激減している事もありますが、3月11日に全てが覆ってしまった為、よく判らなくなってしまっているようです。まるで、時間が戻ったかのようにも思えます。5月に入ってより特に。現在も、各ブログの投稿が調整出来ていませんが、少しずつ戻してゆきたいです。と云って、戻せない状態になっていますが。
by guardianvein | 2011-05-18 00:26 | 海上自衛隊へ行こう
本日5月13日、第51掃海隊の掃海艦さんがたが横須賀に揃われました。4月末日以来です。約半月ぶりです。東日本大震災の被災地より戻られた事と思いますが、その間の情報が確認出来ていません。一昨日、日本テレビさん「news every.」でのEOD員の皆様が捜索なさっている際の映像では、第51掃海隊のEOD員さんがいらしたのですが、取材された日が判りませんでした。勝手な想像ですが、4月中ではないように思います。5月3日のフジテレビさん「スーパーニュース」では、掃海艦「はちじょう」さん、「やえやま」さんEOD員の皆様の捜索なさっている際の映像が放送されましたが、こちらは4月20日前後であったと思います。いずれにしましても、第51掃海隊の皆様が揃われるのは、4月末日以来です。
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昨年10月、共に掃海母艦「うらが」さんを見学させて戴いた『YOKOSUKA軍港めぐり』の秋澤船長から、「やえやまとつしまが間もなく戻りますよ」と伝えられたのは、13時45分頃。私個人としては、東日本大震災から2ヶ月が経過する日は、5月の「第2週金曜日」でした。日付ではなく、曜日なのです。「第2週の金曜日」。「3月第2週の金曜日」。東日本大震災=東北地方太平洋沖地震発生20分前、掃海艦「やえやま」さんの前に居ました。その時、NP-1桟橋には掃海艦「やえやま」さんのみ。全てが覆ってしまった、あの日14時46分の20分前。それから2ヶ月。吾妻島の銀柱の間より、「やえやま」さんのお姿が見えたのは、14時16分。甚大な、甚大過ぎる犠牲を強いた東日本大震災。あまりにも多くの尊い命を奪い、自分からも数々の「事柄」を奪った東日本大震災。決して、あの日を忘れません。ですが、無情に奪うばかりではなく、与えられる事もあります。
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「やえやま」さんより、「つしま」さんへロープが渡りました。何故か、雨の昨年9月30日を思い出しました。「back to 0930」。
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この時、左手には海上保安庁さんの「ゆうづき」さんが待機されていた事もあったのですが、「やえやま」さん、「つしま」さんの間近には行かれませんでした。通常、この地点は、掃海艦さんがたに最も近い距離を通過するのですが。通常よりもかなり距離があったのですが、「やえやま」さんが4月末日より、更に傷だらけである事に気付きました。
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5月13日(金)14時26分。痛々しいです。錆が流れ、傷だらけです。
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3月11日(金)14時26分。ほぼ、同じ角度の記録です。美しい木目が陽光に煌めいていました。
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「やえやま」さんは傷だらけですが、皆様はお元気そうに見えました。安堵しました。「つしま」さんも少し傷と錆が見えますね…
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通常よりも距離が開いていましたので、この時、「つしま」さんの方々がお帽子を振って下さっていた事に気付けませんでした…。すみません。帰宅後、画像を確認し判りました。
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傷ついたお姿を記録しておかなくては…3月11日以降、横須賀に戻られたのは、僅か2回。ほんの数日間。東日本大震災発災した頃は、被災地は真冬でした。雪も降り、雨も降り…その2ヶ月を物語る「傷」です。今日も、この2ヶ月間、災害派遣に向かわれていた事は『YOKOSUKA軍港めぐり』で案内されませんでした。掃海艦さんがたの前で災害派遣に向かわれていた事を案内したくないのかもしれませんね。ここまで続くと。EOD員の方々が懸命の捜索活動を続けられていた事も案内されません。掃海艦・機雷掃海に関しての案内です。間違ってはいません。正しい案内です。ですが、今、何故に災害派遣について全く触れないのでしょうね。勿論、全ての案内人の方々が触れない訳ではありません。
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自分の身体が傷ついているかのようにさえ思えます(実際、今、両手・腕が傷だらけです。幸い、指は曲げられるようになりました)。「艦は人。生きている」と思っていますので。災害派遣より戻られた殆どの艦艇さんがたが「負傷」していました。
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本日はreflexを使用していませんでしたので、300mmでいっぱいに寄って。遠かったです。ですが、この時、掃海艦さんがた付近は入り組んでいました。秋澤船長、ぎりぎりまで引っ張りました(時間)。
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「はちじょう」さんは、先に戻られていました。本日ではなかったようです。静かに休んでいらっしゃるように見えましたが、付近は動きがありました。
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投稿準備の為、本日の画像を確認していたところ、ふと思い出されたのは、昨年11月の油津港での第51掃海隊の皆様。約半月間の厳しい日向灘での掃海特別訓練を終えられ、油津港に戻られた翌々日。
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同日、雨上がりの第1掃海隊の掃海艇さんがた。艦番号が見えづらいですが、「みやじま」さん、「いずしま」さん、「あいしま」さん。東日本大震災の被災地へ向かわれたのは「みやじま」さん、「あいしま」さん。

東日本大震災以降、これまで以上に頻繁に記録を確認し続けています。本日、約半月ぶりに横須賀に戻られた掃海艦「はちじょう」さん、「つしま」さん、「やえやま」さん(ご到着順)。これよりの皆様の「行動」は、まだ判りません。今月末、高松港へ向かわれるのは、「つしま」さんでしょうか(「つしま」さん、ゆかれないようですね…)。
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3月11日より「2ヶ月が経過した日」、横須賀に戻られた掃海艦さんがたの「速報」にて。
by guardianvein | 2011-05-13 23:32 | 東日本大震災 災害派遣